✣ いのちの水 ✣
1980年代半ば、エチオピアで干ばつによる大飢饉が起こり、世界中から支援の手が差し伸べられました。1997年に、わたしは、日本のNGO(非政府組織)が取り組む農村自立支援の働きを視察し、電気も水道もない地域に井戸を掘る活動の現場を訪れたことがあります。水を汲みにくるのは女性の仕事。水の入った非常に重い水がめを頭にのせて、また30〜40分歩いて家に戻るのです。
ヨハネによる福音書4章に登場するサマリアの女も、遠い道のりを歩いて水を汲みにきたのだろうかと想像します。サマリア人の中で疎外されていた彼女は、誰にも会わないですむよう、正午ごろに水を汲みにきました。彼女は、ユダヤ人から、サマリア人から、二重の侮蔑にさらされていました。イエスから「水を飲ませてください」と言われた時、誰にも声をかけられることのなかった彼女は驚きます。それに、ユダヤ人とサマリア人との間には対立があり、ユダヤ人男性がサマリア人女性に水を乞うなど、ありえないことだったからです。彼女が差し出した水を飲んだイエスは、今度は、ご自分が差し出す「いのちの水」に目を向けるよう彼女を促します。物質的な水は、命を維持するために無くてはならないものです。でも物質的なものだけで、神との関係、人との関係が断絶されたところに真の幸せはないのです。
●1月12日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
新年おめでとうございます!
本年も、皆様に、イエス・キリストの恵みと祝福が豊かにありますように祈ります。
昨年を振り返ると、国の内外を問わず、貧困、飢餓、環境の問題、争い、暴力、人道危機、政治の腐敗・混乱、良心・自由の侵害、など、暗いことが多くありました。その中で子どもや弱い立場の人の悲しみや苦しみがあります。新しい年を迎えても、それらは依然として続いています。しかし、暗いことの多い世界ではありますが、この世界は悪いことばかりではないことも知らされています。
某紙の元旦の社説は、「誰も置き去りにしない」でした。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ(政策課題)」。貧困、教育、気候変動など17分野にわたり、世界と地球を永続させるための国際社会共通の目標(SDGs)について述べられていました。そして、「誰も置き去りにされない。多世代が頼り合う地域交流の場」として、いわゆる「子ども食堂」の賑わいをSDGs社会に差す希望の光としてあげていました。地域社会での市民の働きにおしえられます。
2020年を迎え、わたしたちは、光として世に来られた主イエスを宣べ伝える教会、地域協働プロジェクトの協働教会として、30年のゴールを目指し、この20年代をどう生きるのかが問われるところです。
●1月5日 新年礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ すべての恵みに感謝せよ ✣
振り返ると、この1年間栗ヶ沢教会員として、走り続けた年であったように思います。
一つ一つを思い返すと、1年間は長いようですが、全体を見るとあっという間のように感じます。私たちの人生は“永遠”に比べれば、一瞬の“まばたき”です。しかしその“まばたき”の中に、けっして忘れてはならない大切なものがあります。
栗ヶ沢教会にとって、2019年で大切であったこと、忘れてはてはならないこと。それはこの小金原の地に伝道を開始して、50年の節目を迎えられたことだと思います。このことは、今年栗ヶ沢教会に在籍した信徒にしか経験できない最も大切な出来事だったのではないでしょうか。
50年前にこの小金原の地を耕し、まかれた福音宣教の種を、代々の牧師と教会員が受け継ぎ、育ててまいりました。今在籍していなくても、全国の他の教会で、栗ヶ沢教会が育ち、この小金原の地に立ち続けていることを喜び、祈って下さっていると思います。
その信仰の友であり、信仰の先達の思いに報いるためにも、そのことを託された私たちは、この50年の節目を栗ヶ沢で迎えられたことを喜び、次の50年に向かってスタートした今、更に福音宣教の業を拡大してゆくことを、私たちは課せられていると思います。
●12月29日 週報巻頭言 教会員 H.T.
✣ クリスマスおめでとうございます! ✣
暗いニュースが絶えることのないこの時代に、希望はあるのか、と問いたくなるわたしたちに、クリスマスの出来事は希望の光を指し示します。この時、信仰を新たにされて、この時代を生きていく勇気と力が与えられますように、救い主イエス誕生の喜びが一人ひとりに豊かにありますように、祈ります。またこの時、排除されている人々、困窮、困難の中にある人々のことをおぼえて祈り、小さな行動ができますように。主よ、わたしたちを導き、助けてください。
●12月22日 クリスマス礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代
☆カンボジア(クメール語)
ソーム・プレア・プロティエン・ポー
☆インドネシア(インドネシア語)
Tuhan Yesus Memberkati!!
トゥハン イエスス ムンブルカティ!!
☆シンガポール(中国語)
神祝福你 Shen Zhu Fu Ni
シェンジューフーニー
☆ルワンダ(ニャルワンダ語)
Imana Ibahe Umugisha!
イマーナ・イバヘ・ウムギシャ!
✣ 恐れは喜びに ✣
アドベント第三主日を迎えました。今日は、子どもたちとの合同礼拝です。教会学校や、くりくりあおぞらくらぶの皆さんといっしょに、救い主イエスの誕生をお祝いできることを感謝します。
わたしが以前通っていた教会の付属幼稚園では、毎年、イエス誕生の物語を劇で再現し、降誕を祝うクリスマス・ページェントを行います。マリア、ヨセフ、天使、羊飼い、など、子どもたちがそれぞれの役を演じるのですが、当時、最も希望者の多いのが羊飼いの役だと聞きました。なぜなのでしょう。
ダビデ王は、もと羊飼いでした。旧約時代、羊飼いが差別や偏見の対象になることはなかったようです。しかし新約時代、1世紀には、貧しく、安息日を守れず、定住するところのない羊飼いは、差別され、排除される存在でした。暗い中に置かれていた羊飼いたちに突然天使が近づき、周りを主の栄光が照らしたのです。彼らは非常に恐れました。「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」さびしく、つらいことの多い羊飼いに、真っ先に救い主誕生の知らせが届けられたということが、幼い子どもたちの心を励まし、その役をやりたいと願ったのではないかと、わたしにはそう思えるのです。
●12月15日 アドベント合同礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代