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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-02-01 15:16:19 (661 ヒット)

✣ すべての人の渇きを潤す水 ✣

    先週金曜日(1/31)、福岡市にある西南学院の理事会に出席しました。西南学院は、キリスト教主義にたつ教育機関であり、そのルーツは、1889年に遡ります。1889年、アメリカ南部バプテスト連盟(SBC)による日本への伝道が始まり、1907年西南学院の前身である福岡神学校が開設され、1916年にSBC宣教師C.K.ドージャーによって西南学院が創立されました。「Seinan, Be True To Christ(西南よ、キリストに忠実なれ)」。ドージャー先生の言葉を建学の精神とし、現在、保育園、幼稚園、小学校、中学校、高等学校、大学があります。大学には神学部が置かれ、アカデミックな一学部としての性格だけでなく、日本バプテスト連盟(以下、連盟)の教派神学校としての使命も負っています。
    近年、献身者がなかなか起こされず、神学部で学ぶ学生が少なくなっています。社会や教会の状況変化など、その理由は単純ではないでしょう。しかし今日のように、命の軽視、平和の危機、人間をはじめ、すべての被造物が呻いている時だからこそ、イエス・キリストの救いを宣べ伝える教会の働きは、益々求められるのです。これからも、献身者が起こされるよう収穫の主に願い祈りつつ、すべての人の渇きを潤す水を分かち合う教会の働きに仕えてまいりましょう。

●2月2日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-01-25 15:56:51 (1163 ヒット)

✣ いのちのパン ✣

    ヨハネによる福音書(以下、ヨハネ福音書)が書かれた目的は、「あなたがたが、イエスは神の子メシアであると信じるためであり、また、信じてイエスの名により命を受けるためである」(20:31)と言われています。
    3章から17章にわたって、「永遠の命」という言葉が続きます。ヨハネ福音書は、人々が「永遠の命を得る」ことが神のみ心であり、そのためにイエスが世に遣わされたことを繰り返し語ります。「永遠の命」とは何でしょうか。それは、神を知ること、イエス・キリストを知ることそのものです。そして、イエスを信じること、それが神の業であると福音書記者は語ります。「永遠の命を得る」というのは、自分で徳を積んで将来獲得するようなことではなく、今を、イエスのように生きることだということができます。イエスは、その生涯を徹底して他者のために生きられました。イエスの生き方を自分の生き方とするとき、そこに命の輝きがあります。その命が永遠の命なのです。
    イエスの生き方を自分の生き方とすること、その難しさをいつも知らされる私たちです。そのような私たちだから、主は自らを十字架に差し出してくださったのです。そして「わたしが命のパンである」と言われ、そのパンを信じ、そのパンを食べて生きよ、と私たちを招いてくださるのです。

●1月26日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-01-18 15:07:09 (647 ヒット)

✣ イエスの声を聴く ✣

    先週の1月17日は、阪神淡路大震災が起こってから25年の記念の日でした。
    神戸で被災した友人は、寒い冬が来ると、あの日のことがありありとよみがえってきて苦しくなると言います。どんなに時が経っても、家族や友人を失った悲しみや、生き残った者の苦しみ、傷みは、消えるものではありません。しかし、それでも、人と出会い、人とつながって、互いに励まし合い、少しずつ前に進んでここまで生きてこられたのではないかと思います。そして、被災地に建てられた教会もまたそうです。自らが被災し、さまざまな困難の中にあって、でも、人との出会いや、出来事を通して、暗い中にキリストの希望を見出し、互いに励まし合ってこんにちに至っているのです。「震災が奪ったもの  命 仕事 団欒 街並み 思い出…たった1秒先が予見できない人間の限界…震災が残してくれたもの  やさしさ 思いやり 絆 仲間」(東遊園地のモニュメント「1.17希望の灯り」より)。神が震災を通して新しい創造を起こしてくださったことをおぼえ、悲しみ、傷みのある所に深い慰めを祈ります。
    わたしたちは、暗い中で困難に直面した時、恐れます。「恐れることはない」というイエスの声を聴き、その声に導かれていくときに、いつか向こう岸に着いていたということを信じて歩みたいと思います。

●1月19日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-01-11 15:47:08 (658 ヒット)

✣ いのちの水 ✣

    1980年代半ば、エチオピアで干ばつによる大飢饉が起こり、世界中から支援の手が差し伸べられました。1997年に、わたしは、日本のNGO(非政府組織)が取り組む農村自立支援の働きを視察し、電気も水道もない地域に井戸を掘る活動の現場を訪れたことがあります。水を汲みにくるのは女性の仕事。水の入った非常に重い水がめを頭にのせて、また30〜40分歩いて家に戻るのです。
    ヨハネによる福音書4章に登場するサマリアの女も、遠い道のりを歩いて水を汲みにきたのだろうかと想像します。サマリア人の中で疎外されていた彼女は、誰にも会わないですむよう、正午ごろに水を汲みにきました。彼女は、ユダヤ人から、サマリア人から、二重の侮蔑にさらされていました。イエスから「水を飲ませてください」と言われた時、誰にも声をかけられることのなかった彼女は驚きます。それに、ユダヤ人とサマリア人との間には対立があり、ユダヤ人男性がサマリア人女性に水を乞うなど、ありえないことだったからです。彼女が差し出した水を飲んだイエスは、今度は、ご自分が差し出す「いのちの水」に目を向けるよう彼女を促します。物質的な水は、命を維持するために無くてはならないものです。でも物質的なものだけで、神との関係、人との関係が断絶されたところに真の幸せはないのです。

●1月12日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-01-04 14:19:21 (713 ヒット)

新年おめでとうございます!

    本年も、皆様に、イエス・キリストの恵みと祝福が豊かにありますように祈ります。
    昨年を振り返ると、国の内外を問わず、貧困、飢餓、環境の問題、争い、暴力、人道危機、政治の腐敗・混乱、良心・自由の侵害、など、暗いことが多くありました。その中で子どもや弱い立場の人の悲しみや苦しみがあります。新しい年を迎えても、それらは依然として続いています。しかし、暗いことの多い世界ではありますが、この世界は悪いことばかりではないことも知らされています。
    某紙の元旦の社説は、「誰も置き去りにしない」でした。2015年9月の国連サミットで採択された「持続可能な開発のための2030アジェンダ(政策課題)」。貧困、教育、気候変動など17分野にわたり、世界と地球を永続させるための国際社会共通の目標(SDGs)について述べられていました。そして、「誰も置き去りにされない。多世代が頼り合う地域交流の場」として、いわゆる「子ども食堂」の賑わいをSDGs社会に差す希望の光としてあげていました。地域社会での市民の働きにおしえられます。
    2020年を迎え、わたしたちは、光として世に来られた主イエスを宣べ伝える教会、地域協働プロジェクトの協働教会として、30年のゴールを目指し、この20年代をどう生きるのかが問われるところです。

●1月5日 新年礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


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