✣ 東日本大震災から9年 ✣
「目を上げ、わたしたちは山々を仰ぐ。/わたしたちの助けはどこから来るのか。/わたしたちの助けは来る、天地を造られた主のもとから。/主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、いかに力強く、全地に満ちていることでしょう。」
「2020年3月11日 東日本大震災から9年を数えての祈り」(東日本大震災現地支援委員会)は、上記の言葉から始まっている。「被災地」の方々にとって、大地震、大津波、原発事故の恐怖は忘れることができず、いまだ原発事故の現実に曝されている不安を拭い去ることはできない。しかし、そのような日々の中でも、人々は何とか前に進もうとしている。そして、教会は、主のもとから来る助けを信じて、悲しみや苦しみの中にある方々と励まし合いたいと願っている。2020年1月現在、震災関連で亡くなられた方は、1万5,899人、行方不明の方は、2,529人、現在避難している方は、4万8,181人、そして避難者の内、3万1,022人は福島県から県外への避難者だという(福島県HPより)。
昨年9月、宮城県内の「被災地」を数年振りに訪ね、災害に遭われた人々や「被災地」を忘れないよう、祈っていきたいと改めて思わされた。だが人間は弱い者で、忘れてしまう。だから、3・11という記念の日が大切なのだ。神のゆるしと助けを願い、3・11を覚えて、共に祈りを合わせたい。
●3月8日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 新型コロナウィルス(COVID-19)感染拡大を受けて ✣
新型コロナウィルスの感染者が確認されて以来、毎日マスコミを通して感染拡大が大きく報じられています。情報過多は人々の不安を増大します。過剰に反応しないようにと思っています。2月19日付日本バプテスト連盟からの表題の文書には、「…決して過剰に反応するのでなく、正しい情報と冷静な判断をすることが大切です。なによりも、感染者や咳などの症状のある人、あるいは外国から来ている方に対する配慮に欠けた対応が起こらないよう、細心の注意を図りたいものです」とあります。本当にその通りです。差別や偏見、排除につながることのないようにしたいものです。
教会は不特定多数の人々が集う場所ですので、教会内の衛生管理には十分に気をつける責任があります。今わたしたちがなすべきことは、各自が衛生管理を心がけ、教会としてできる限りの対応をすることです。そして感染者やその周りの方々の苦しみをおぼえ、闘病中の方々の回復を願い、感染拡大が一刻も早く収束することを祈ることではないかと思うのです。この時、わたしたちは集団パニックに陥らないように、静まって、礼拝に集うことも自分の健康状態を見ながら判断し、日常生活を続けましょう。
●3月1日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 後で、分かるようになる ✣
長い人生の中で、私たちは様々な出来事を経験します。今年「喜寿」を迎えた私。キリスト教的「完全数の7」が二つも重なる77歳というこの年、どんな喜びに出会えるのかなと密かに期待していたのです。やっぱり、つい先日、それがやってきました。
約50年前、辛いことがあり、しばらくの間、「なぜ?」、「どうして?」という思いが、胸の奥底にありました。ところが、ずっと後に、クリスチャンになって、礼拝に連なる中で、一つの「御言葉」を教えていただきました。それを聞いた途端、「あー、そうだったのか。神様が関わっておられたのだ」と知り、心からの喜びに変わったのでした。
そして77歳になったつい先日、教会も、牧師先生も、「御言葉」さえも違っているのに、あの同じ出来事の「なぜ?」に対し、更に深い深い納得を得ることができたのです。そこには、弱い私たちに何度でも語りかけ、支えて下さる、神様の愛がありました 。
イエス様が十字架にかけられる前に、弟子たちの足を洗われ、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」(ヨハネ13:7)と言われたとおりでした。いつまでも、イエス様の光の中を歩んでゆきたいと思います。
●2月23日 週報巻頭言 教会員 M.S.
✣ 良い羊飼いに導かれる群れ ✣
今日の礼拝後、栗ヶ沢教会が長年だいじにし、祈りをもって取り組んできたバザーを行います。そして、収益は、4ヵ所の障がい者福祉施設(いぶきの広場、ザザビー、止揚学園、久山療育園)に献金します。
バザーの意味は、辞典によれば「慈善事業・社会事業などの資金を得るために、品物を持ち寄って売る催し。慈善市。」となっています。しかし、わたしたち教会が行うバザーは、他人に対して情けや哀れみをかけることでも、恵まれない人々への経済的な援助でもありません。自らのいのちが、神から与えられたものであることをおぼえ、他者のいのちに思いを馳せ、人々と共に生きるわたし(たち)として、他者との関係につなげられていくことです。ですから、献金をお届けして終わりではなく、各施設のことや、そこで生きている人たちのこと、また、人のいのちに優劣がつけられるような現代社会の中で「障がい者」のおかれている状況などを、知り、理解を深めることがだいじです。そして、祈ることを通して、自分たちにできる具体的な行動へと向かうのです。
今日は、そのようなことを考えながら、バザーで共に労する喜びと、近隣の方々をお迎えして交流する喜びを味わいながら、たのしく過ごしてまいりましょう。
●2月16日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ わたしは「世の光」 ✣
先週、連盟理事会に出席しました。会議では話し合うべきことが多く、時には課題の重さにしんどさをおぼえることもあります。しかし、語られるみ言葉や、会議で交わされる言葉の中に、キリストの福音を知らされ励まされています。今日は、開会礼拝(ヨハネ16:33)の恵みを分かち合いたいと思います。
メッセージ担当の牧師が、昨年、会議のために沖縄へ行き、普天間基地ゲート前の「ゴスペルを歌う会」に参加した時のこと。そこに、クリスマスにバプテスマ(洗礼)を受ける予定の小学生の兄弟二人がいたそうです。バプテスマ準備の中での牧師との会話。「イエスさまってどんな方?」「すでに世に勝っておられる方」「それはどこで誰から習ったの?」「ゲート前ゴスペルの賛美歌で知ったよ」。毎週月曜日、賛美歌を歌う集会で、賛美歌の詞を通して兄弟たちに福音が届いていたのです。沖縄の厳しい状況の中、イエスの勝利を信じ、キリストの光をまっすぐに見ている兄弟たち。隣りで「ミルクユ チュクルナ ウチスリティ(神の国をいっしょにつくろう)」(平良愛香作)を、大きな声で賛美する兄弟の歌声に、少し気落ちしていた自分がとても励まされたとのことでした。
わたしたちも、主の十字架の勝利を信じ、世の光である主をまっすぐに見て、この時代を生きていきたいと思うのです。
●2月9日 週報巻頭言 牧師 村上 千代