✣ 教会の基 ✣
教会は、「終末における神の国の完成を目指して、その途上を歩む民である」(森野善右衛門)といわれます。神の国の完成を目指す。それは、どの時代においても変わらぬ教会の目指すところです。しかし神の国の完成へと向かう途上の教会は、その時代の世界の状況や、社会や人々から問いかけられる課題や問題を前に、聖書を読み直す中で、福音理解や教会形成のあり方が変えられていきます。教会は、聖書からキリストの福音を聴き、「地の塩・世の光」として、何を語り、どう生きるべきかを考えるからです。
日本における今日的課題は、社会全体の多様化の問題、生の形態・性の多様性、世代間の価値観のギャップ、経済格差、分断、平和の危機など、様々です。この時代に生きる教会は、これまでの伝統や価値観にしがみついたままでは生きるのが難しい時代を迎えています。パラダイムシフトの必要を迫られ、これからの教会を考えようとしている矢先に、新型コロナウイルス感染の問題が生じ、教会は大きく根底から揺さぶられています。これまで当たり前だと思っていた礼拝も当たり前ではないのです。ウイルスの感染が終息したら、教会は元に戻るのではなく、主の十字架と復活の恵みに根差し、新しい教会となるよう、今、私たちに考える機会が与えられているのではないでしょうか。
●4月26日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 平和があるように ✣
平和は、一般的には戦争がないという意味で用いられます。しかしそれだけでなく、宗教的伝統の中では「無事平穏という消極的な意味や内面的平静という現世的個人的な意味」「宗教的社会的生活の安寧や繁栄、正義の成就や勝利といった積極的な価値」をも意味します(岩波キリスト教辞典)。シャロームです。
今日の聖書箇所は、イエスが十字架で殺された後、迫害を恐れた弟子たちが、家の戸に鍵をかけて潜んでいたところに、復活のイエスが現れたというお話です。恐れと不安で、ビクビクしていた弟子たちに、復活したイエスが来られて真ん中に立ち、「あなたがたに平和があるように」と言われ、手とわき腹をお見せになったと語られています。
自分たちを脅かすものへの恐れや不安があり、自らの罪に苦しみ痛んでいる弟子たちに、復活の主が、「平和があるように」と言われたのです。十字架に釘さされた手の傷、槍で突かれたわき腹の傷をもったままで。
十字架で平和を実現してくださった主が、今、新型コロナウイルスに脅え、苦悩する私たちの真ん中に立ち、傷をもったまま、「平和があるように」と言ってくださるのです。ウイルスは怖いです。感染防止のために最大限の努力をしつつ、主がこの苦難を共に担ってくださっていることをおぼえて、この時を共に乗り越えていきましょう。
●4月19日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ イースターおめでとうございます! ✣
イエス・キリストの復活を祝うイースターを迎えました。今年は、新型コロナウイルスが全世界で猛威をふるう中、感染拡大を防止するために、教会での礼拝を断念しているところがあります。教会は、かつてない経験に苦慮しながら、自分たちの状況に合った礼拝の形を選んでいます。わたしたちは、アルコール消毒などの衛生管理を徹底し、「密閉」「密集」「密接」を避けるために最大限の工夫をして、教会での礼拝を続けることを選んでいます。苦悩の果ての選択です。もちろん、自宅での礼拝も選択肢の一つとしています。
今年のイースターは、例年とは違う形で礼拝します。皆で賛美歌を歌うことや、声を出して主の祈りをささげることをやめます。イースターエッグを作って礼拝出席の皆さんに持ち帰っていただくことも、礼拝後の愛さん会も控えます。これまで当たり前と思っていたことが当たり前ではないことの中で、教会とは何かを考えさせられています。
ウイルス感染の収束の目途が立たず、不安や怖れがわたしたちの心を支配する日々ですが、救い主イエスの苦難の先に復活の希望が与えられていることをおぼえて、人に感染させない、自分も感染しないことを心掛け、キリストに支えられて、この時を乗り越えていきたいと思います。イエス・キリストの十字架と復活の恵みに感謝しつつ。
●4月12日 イースター礼拝 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 主の苦難を心に刻む ✣
昨年12月に、新型コロナウイルスによる感染症が発生、瞬く間に全世界へと広がり、日本も日を追って感染者が増えています。見えないウイルスへの不安や感染の怖れに脅かされ、感染拡大がもたらす影響で社会が混乱の中にあります。今後は、感染者や周りの人々のみならず、弱い立場の人たちの苦しみが一層深刻になることが予想されます。一人ひとりの命が守られますように、感染拡大が一刻も早く収束するようにと祈ります。
わたしたちは、ウイルス感染拡大の収束の目途がつかない中で新年度を迎え、「地域に開かれ、共生を目指す〜新しい体制に向けて、キリストへの応答〜」の主題のもとに新たな歩みをスタートしました。しかし、主の日の礼拝をささげることすら当たり前でなくなったこの時、教会の活動を一部ストップすることや、礼拝場所を自宅と教会に分離することなど、その対応が求められています。そして、衛生管理を徹底し、人に感染させることも、自分が感染することもないように気をつけて、教会の歩みを進めていきます。
受難週を迎えました。今朝わたしたちはイエスの十字架の苦難を心に刻みつつ礼拝します。ウイルスによる世界の混乱のただ中に主がおられることを信じ、わたしたちと共におられる主に助けを祈りつつ、困難の時を乗り越えていきたいと思います。
●4月5日 受難週 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 声を聞き分ける ✣
世界中で新型コロナウイルスの感染拡大が益々深刻になり、見えないウイルスへの不安や恐れが増す中、卒業式や入学式が中止になっています。この混乱の中、先週金曜日に、東京バプテスト神学校の卒業礼拝が行われ出席しました。会場の変更があり、出席者は卒業生と関係者のみでの実施でした。今年度卒業生は、神学専攻科修了3名、神学本科卒業2名、信徒リーダーコース修了1名。そして説教者や神学校関係者等、総勢20名の出席でした。人数としてはさびしいものでしたが、説教や、あたたかいご挨拶の言葉に、出席したすべての者たちが、励ましと勇気を与えられる、祝福に満ちた時でありました。
神学校は、ウイルスの脅威がある中、卒業礼拝実施を決めるまで、また決めてからも、不安や悩みがあったと思います。わたしたちは、時に、自分たちの前にはだかる大きな問題や課題に対して決断を迫られることがあります。今回のような状況の中では、式を行うにせよ、行わないにせよ、どちらが正しい判断かということは分からないのです。だいじなことは、その苦悩の中にキリストが共にいてくださっていることを信じ、祈りの中で主の声を聴くことです。今後、わたしたちは様々な場面で決断を求められることがあるでしょう。祈りの中で主の声を聴きつつ、人間の限界の中で決断するのです。
●3月29日 週報巻頭言 牧師 村上 千代