✣ 信教の自由を守る日 ✣
2月11日は、「建国記念の日」と呼ばれる祝日ですが、日本のキリスト教会は、この日を「信教の自由を守る日」としています。太平洋戦争敗戦まで、この日は「紀元節」と呼ばれ、神武天皇即位を祝う日とされていました。戦後、「紀元節」はなくなりましたが、1966年12月9日に、政令で2月11日が「建国記念の日」と定められ、実質的に「紀元節」が復活しました。キリスト教会は、戦前戦中に天皇制国家体制に迎合し、協力した反省と、日本国憲法が保障する政教分離の原則に立って、信教の自由を訴え続けています。
コロナ危機の中、昨年半ばに、日本宗教連盟が政府に対し、「持続化給付金」「雇用調整助成金」の対象に宗教法人や宗教団体を含めるようにとの要請を行いました。宗教法人や宗教団体に公金を支出することは、重大な憲法違反行為です。「たとえ感染症拡大のような危機を理由にしても、政教分離原則が無視され、宗教法人や宗教団体の自主独立性が侵されることがあってはなりません」。連盟理事会は、宗教団体が自ら政教分離に反することを行おうとする姿勢に対し、断固抗議しました。私たちは、苦しい中で、誘惑に陥ってしまう弱さを抱えています。だからこそ周りで起こる出来事を冷静に見て、主の言葉を聴き、自らの立つべきところを確認していかなければならないと思っています。
●2月7日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 平和があるように ✣
「平和の像」「平和公園」など、「平和」がついた物の名前や場所、あるいは言葉が沢山あります。みなさんは、「平和」ってどういう状態をいうのですか、と質問されたらどのように答えますか。戦争と対になっているイメージがあるので「戦争のないこと」という答が多く返ってきそうですが、そう答えながら、それではちょっと不十分だとほとんどの人が思っているはずです。
「平和」という言葉の響きは耳に心地良く、気持ちのよい感覚を共有できますからいろいろなところに気安く使われていますが、実は別の言葉で具体的に表現するにはなかなか難しい抽象語です。
イエスさまは、弟子たちを、福音を伝える者として派遣される際に、訪ねた家に入る時「平和があるように」と挨拶をしなさい、と言われました。ユダヤの挨拶の言葉は「シャローム」です。「シャローム」は、人間が至福だと思うすべてのものが完全であることを意味しています。社会的にも、自己の精神においても、安らかな状態をいうのです。
私たちは今、コロナ禍の中にいて、それぞれが不安を抱えて生きています。と同時に、ひとりの人間のかけがえのなさは神の愛の中にあることも知っています。「シャローム」隣人と痛みを共にしながら、真の平和を祈って考える時なのでしょう。
●1月31日 週報巻頭言 教会員 S.M.
✣ 味噌づくり ✣
昨日、味噌の蔵出しと、新しい味噌の仕込みが行われました。例年なら、くりくりあおぞらくらぶの子どもたちと一緒に、ワイワイガヤガヤと楽しくやるところですが、今年はコロナのために、子どもたちがいなくてさびしいなあと思いながらの味噌づくりでした。
いよいよ昨年2月8日に仕込んだ味噌の蔵出しです。どんな味噌に出来上がっているのかとワクワクしながら甕(かめ)の蓋が開けられました。とても良い出来。それに、教会で作る味噌は添加物なしで、大豆と塩と麹のみで作りますから美味しいのです。早速、1袋買って味噌汁にしていただきました。この美味しさをどう表現したらよいのでしょう。言葉が見つかりません。出来たてのフレッシュな味噌の味は、この時にしか味わえません。皆さまもぜひ味わってください。
味噌づくりは、前日から水につけておいた大豆を煮て、潰して、塩と麹を加えて混ぜ、甕に仕込む。ここまでのプロセスは、味噌づくりのベテランたちが長年培ってきたノウハウで人の手の業が生かされます。しかし、甕に蓋をしてからは、もう人の手はまったく及ばず、私たちにはどうすることもできない自然の領域−気候や風や日差し等が味噌の熟成にかかわってきます。味噌を仕込んだ後は神にお任せ。私たち人間は、1年間ただじっと待つのみです。私たちには見えない所での神の働きを思うひと時でした。
●1月24日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 1・17をおぼえて ✣
1. いくつかの季節が移り行き 時は流れて行くけれど
私の心の大きな穴は うめてもうめても ふさがらない
何度も何度もそう語り ため息ついては肩落とす
あなたに何もかける言葉 見付ける事はできないけれど
※ 人は旅人 夢のかけらを 分け合いながら 生きて行くのさ
夢は誰かと 育て 咲かすもの 三色スミレが 教えてくれた言葉
2. 街に灯が 戻り来て 人々の 靴音が変わっても
私ひとりの生命の重さ どれだけ値打ちがあるのだろう
ポツリとあなたは言うけれど あなたに出会えて ぼくはよかった
裂けた大地の上に再び かけがえのない生命が育つ
崩れたガレキのすき間から 小さな花 ひとつ咲いた
風に吹かれて しなやかに 今 小さな 生命ひとつ
※ 繰り返し
だれが植えたか 三色スミレ
地震(ナイ)の大地に 再び咲きそよぐ
(詞・曲 野中宏樹)
今日は、26年前に起こった阪神淡路大震災の祈念日。震災から2年半ほど経った時、支援にかかわった仲間たちがつくったCDの「三色スミレ」という曲です。この日をおぼえて祈ると共に、現在も様々な形で続いている被災によって苦しんでいる人々が希望を見出せるようにと祈ります。
●1月17日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 神のことばで生きる ✣
わたしの出身教会では、数ヵ月に一度の頻度で「アルトス」というチラシをつくって地域の方々に配布しています。もう35年以上続いている教会の働きです。「アルトス」は、ギリシア語で「パン」を意味する言葉です。「アルトス」というタイトルの横には、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)という聖書の言葉が記されており、人々に神の愛と祝福を伝え続けています。
パンは、人間が生きるためになくてはならないものです。食べるものがなければ栄養が不足し、生命を維持していくことができません。では、パンさえあれば人は幸せなのかというと、改めて言うまでもないと思います。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」。それは、「神の祝福なしには、パンも、パンによって支えられる命も空しい」と言うことです。人間は、命のパン、すなわち神の愛と祝福の内に生かされているという確信によって、真に生きることができるのではないでしょうか。世界のグローバル化が進み、パンさえあればという価値観が世界を支配しているようなこんにち、わたしたちも「人はパンだけで生きるものではない」と言うことよりも、「神のことばだけで生きるものではない」と言う声の方が強くなっていないでしょうか。生きるには、パンだけでなく何が大切か今一度考えさせられます。
●1月10日 週報巻頭言 牧師 村上 千代