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主の晩餐式は、洗礼(バプテスマ)と並んでプロテスタントの教会で執行される、二つの礼典の中の一つであります。カトリック教会では礼拝の中心に置かれ、「聖体拝領」と呼ばれる秘跡(サクラメント)として位置付けられています。
しかし、プロテスタントの教会は主の晩餐式を「礼典」と呼び、「サクラメント」とは呼びません。これは、「神による救済は人間のおこないによるのではなく、信仰のみによる」という使徒パウロの教え(ローマの信徒への手紙、ほか)から、晩餐式の執行そのものを救いの条件とは考えていないからです。
ただ、私たちにとって主の晩餐式が、洗礼と並んで目に見える救いのしるしであることは否定できません。特に晩餐式は洗礼式と異なり、教会員全体がこれに参与し、パンとぶどう酒を「分かち合う」出来事であるとともに、これを繰り返しおこなうことで主の十字架と復活を想起する記念の出来事でもあります。この主の晩餐式にあずかることにどのような意味があるのかを、マタイによる福音書の聖書箇所から、共に考えてみたいと思います。
●3月27日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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先週の祈祷会では、マルコによる福音書6章30節以下の「5千人に食べ物を与える」の箇所からみ言葉を学びました。この5千人の給食の物語は、4つの福音書のすべてに書き記されています。それほど重要な意味を持つ出来事として、福音書記者たちに覚えられていたのです。
この物語をどう理解するか、いくつかの解釈法があります。一つは、この物語にある出来事すべてが、実際に起きたことだと考える解釈です。食事が十分に準備された事情があったと見る解釈、すなわち、少年が手持ちのパンと2匹の魚を差し出したのを見て、多くの群衆が心動かされ、皆が手持ちの食事を差し出した結果、5千人が食べて満腹になるほどの分量となったと考える解釈です。
しかし、最も説得力のある解釈は、この物語は主の晩餐式を先取りした出来事であったと考えるものです。手元にある僅かな量のパンと魚。それを取ったイエスは天を仰ぎ、賛美の祈りを捧げて、これを弟子たちに配らせました。その恵みにあずかった群衆は、喜びに溢れ、感謝をもってそれを食べ、そして満たされたのです。主の晩餐式は、そのような神の愛と祝福の業だということが、ここで言われていると考えるのです。
●3月20日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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エレミヤが預言者として活動を始めたのは、紀元前627年のことです。その預言活動は、紀元前585年まで40年以上という長期に及びます。召命を受けた時、まだ若年であったエレミヤは、神によって「諸国民の預言者」としての任務を与えられました。この称号は、決して誇張ではありませんでした。当時の西南アジア世界は、大きな歴史の転換期を迎えていたからです。それは、オリエントの大国であったアッシリアが新興国のバビロニアに取って代わられ、諸国の勢力地図が塗り替えられようとしていた矢先のことでした。
エレミヤが見た幻の一つである「煮えたぎる鍋」は、北の方からエレミヤの方に向かって傾いていたといいます。それは、北からの外敵が、煮えたぎるような勢いでイスラエルに襲って来ることを示していました。事実、アッシリアを滅ぼしたバビロニア王ネブカドレツァルによって、紀元前605年にシリア、パレスチナ侵攻が始まります。嘆きの預言者と呼ばれるエレミヤは、危機の時代を生きた預言者でした。
●3月13日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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エルサレムへ上っていく途中のあるとき、主イエスはひそかに12人の弟子を呼び寄せて、自らの十字架の死を予告しました。「人の子は、祭司長たちや律法学者たちに引き渡される。」それは、子ロバに乗ってエルサレムに入場するほんの少し前の出来事でした。
すると、この話を聞いたヤコブとヨハネの母親が、息子たちと一緒にイエスのところにやって来て、「(あなたが)王座にお着きになるとき、この二人の息子が、一人はあなたの右に、もう一人は左に座れるとおっしゃってください」と申し出たのです。イエスが打ち立てる神の国で、息子たちがナンバー2とナンバー3の職位に就くことを願ったのでした。
これを聞いたイエスは、言いました。「あなたがたは、自分が何を願っているか分かっていない。」これは、自らがもたらす神の国がどのようなものか、あなたがたには分かっていない、という意味です。神の国では、地上の王国のように他者を支配することではなく、主に従うこと、多くの人に仕えることが求められるのです。
●3月6日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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ヨハネによる福音書21章には、イエスの十字架の死の後、失望と悲嘆のうちにガリラヤに帰り、元の漁師としての生活に復帰した7人の弟子たちの前に、復活の主がご自身を現され、夜通し働いて空腹を覚えていた彼らに、パンと魚をもって朝食をふるまわれた出来事が記されています。
その食事の後で、イエスはシモン・ペトロに「ヨハネの子シモン、あなたは私を愛しているか」と、三度にわたって尋ねたと書かれています。「はい」と答えたペトロに対して、「私の羊を飼いなさい」と言われた、そんなやりとりが三度も続いたと記されているのです。
主イエスは、ペトロのご自身に対する愛が冷めてしまっているのではないかと、ペトロのことを疑われていたのでしょうか。そうではありません。むしろ、こう尋ねることによって、シモン・ペトロへのご自身の愛を、より確かなものにしようとされたのです。ドイツ語圏の注解書を読むと、このイエスの三度にわたる問いかけは、ペトロにとって「リハビリテーション」としての意味を持つものであったと解説されています。かつて大祭司の庭で、三度主を知らないと否んだペトロの行為と、心の傷を癒す言葉です。今朝は、この場面からみ言葉に聞きます。
●2月27日 週報巻頭言 牧師 木村 一充


