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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-01-16 19:04:31 (609 ヒット)

✣ 1・17をおぼえて ✣

1. いくつかの季節が移り行き 時は流れて行くけれど
    私の心の大きな穴は うめてもうめても ふさがらない
    何度も何度もそう語り ため息ついては肩落とす
    あなたに何もかける言葉 見付ける事はできないけれど
 
    ※ 人は旅人 夢のかけらを 分け合いながら 生きて行くのさ
        夢は誰かと 育て  咲かすもの 三色スミレが  教えてくれた言葉
 
2. 街に灯が 戻り来て 人々の 靴音が変わっても
    私ひとりの生命の重さ どれだけ値打ちがあるのだろう
    ポツリとあなたは言うけれど あなたに出会えて ぼくはよかった
    裂けた大地の上に再び かけがえのない生命が育つ
    崩れたガレキのすき間から 小さな花 ひとつ咲いた
    風に吹かれて しなやかに 今 小さな 生命ひとつ
 
      ※ 繰り返し
 
          だれが植えたか 三色スミレ
          地震(ナイ)の大地に 再び咲きそよぐ

(詞・曲 野中宏樹)

    今日は、26年前に起こった阪神淡路大震災の祈念日。震災から2年半ほど経った時、支援にかかわった仲間たちがつくったCDの「三色スミレ」という曲です。この日をおぼえて祈ると共に、現在も様々な形で続いている被災によって苦しんでいる人々が希望を見出せるようにと祈ります。

●1月17日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-01-09 18:15:44 (600 ヒット)

✣ 神のことばで生きる ✣

    わたしの出身教会では、数ヵ月に一度の頻度で「アルトス」というチラシをつくって地域の方々に配布しています。もう35年以上続いている教会の働きです。「アルトス」は、ギリシア語で「パン」を意味する言葉です。「アルトス」というタイトルの横には、「人はパンだけで生きるものではない。神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイ4:4)という聖書の言葉が記されており、人々に神の愛と祝福を伝え続けています。
    パンは、人間が生きるためになくてはならないものです。食べるものがなければ栄養が不足し、生命を維持していくことができません。では、パンさえあれば人は幸せなのかというと、改めて言うまでもないと思います。「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」。それは、「神の祝福なしには、パンも、パンによって支えられる命も空しい」と言うことです。人間は、命のパン、すなわち神の愛と祝福の内に生かされているという確信によって、真に生きることができるのではないでしょうか。世界のグローバル化が進み、パンさえあればという価値観が世界を支配しているようなこんにち、わたしたちも「人はパンだけで生きるものではない」と言うことよりも、「神のことばだけで生きるものではない」と言う声の方が強くなっていないでしょうか。生きるには、パンだけでなく何が大切か今一度考えさせられます。

●1月10日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2021-01-02 15:24:11 (684 ヒット)

✣ 新年あけましておめでとうございます! ✣

    昨年は、コロナに振り回された一年でした。今年は、状況が少しでも良くなるようにと願うばかりです。新しい年も、主が、一人ひとりに伴い、それぞれの歩みを支えてくださるようお祈りいたします。

    今年も、遠くから、近くから、たくさんの年賀状をいただきました。皆さんからのあたたかい言葉に励まされ、祈られていることの幸いを感謝しています。
    尊敬する恩師からの年賀状に、聖書協会共同訳の箴言の言葉がありました。
「惜しまず与えても富の増す人があり 物惜しみをしても乏しくなる者もある。」(箴言11:24)
「弱い人を虐げる者は造り主を見くびる。造り主を尊ぶ人は貧しい人を憐れむ。」(箴言14:31) ※憐れむ=支援する、引き立てる
    コロナの中、格差が益々拡大する社会で、私たちは、神に造られた者として、イエス・キリストの十字架の恵みに生かされている者として、今日的課題の中をどう生きていくのか示されているように思います。弱い立場の人が益々弱くされている状況の中、箴言の言葉は私たちを励まします。

●1月3日 新年礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-12-26 15:19:28 (587 ヒット)

✣ ナザレの人イエス ✣

    今日は、2020年最後の主の日。この一年、とくに、コロナの中で、わたしたちを支え、導いてくださった神に感謝し、礼拝します。
    新型コロナウイルス感染症が猛威を振るい、教会に集まって礼拝することの是非が問われる中、年間52回の主日礼拝を教会で行うことができたのは何よりでした。コロナ前には当たり前だったことが、実は当たり前ではないのだ、と気づかされたのがこの一年だったのではないでしょうか。
    コロナ感染拡大の初期、外出自粛が求められて皆が家に閉じこもっていた頃のこと、ある教会員が平日に訪ねて来られました。「今、自分の命を保つためには、祈ること、礼拝することが最も必要」と言われ、礼拝堂で共に祈りをささげました。改めて、キリスト者にとっても地域の方々にとっても、教会を開けていることの必要性を思った次第です。
    主日礼拝から週末までに何事もなければホッとし、安心したのも束の間、直ぐに日曜日が来ます。その緊張の繰り返しの中で、「主が共にいる」という約束に支えられて来たことを感謝しています。今、コロナで教会に集うことのできない方々もいますが、いつか必ず皆が一緒に礼拝できる時が来ると信じて、新しい年も、それぞれの場所で礼拝し、聖書の言葉から命を受け、祈り合ってこの時を生きていきたいと願っています。

●12月27日 週報巻頭言  牧師  村上 千代


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2020-12-19 19:17:51 (610 ヒット)

✣ クリスマスおめでとう ✣

    2020年のクリスマスを共に祝うことのできる幸いを感謝します。新型コロナウイルス(以下、コロナ)が世界を覆い、多くの命が失われ、分断や格差など、世の暗い状況の中で、一人ひとりに救い主イエス・キリストの恵みが豊かにありますようにと祈ります。
    今日の聖書の物語は、救い主イエスに出会った博士たちの話。彼らは「異邦人」と呼ばれる非ユダヤ人で、ユダヤ人にとっては異国の人。メシア(キリスト、救い主)誕生の徴を知った博士たちが、「ユダヤ人の王」として生まれた方を礼拝するために東方からエルサレムに来ました。彼らは、そこがメシアの誕生にふさわしい場所だと考えたのでしょうか。しかし、そこに幼子はいません。博士たちは、預言者の言葉を聞き、星に導かれて、ついにベツレヘムという小さな貧しい村で、その幼子を見出し、喜びに溢れて礼拝しました。そして、新しい道へ歩み出しました。
    救い主が、大都市の、権力や経済の中心にではなく、小さな寒村の、貧しくさびしい所に生まれたということは、今の暗い状況の中に一筋の希望の光をもたらします。またこの物語は、国や民族という枠を超えて共に礼拝する信仰共同体の姿も示しています。今、この時、弱さの中にこそみ子は生まれたという希望を仰ぎ、多様な人たちと共に礼拝し、励まし合っていきたいと思います。

●12月20日 クリスマス礼拝 週報巻頭言  牧師  村上 千代


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