✣ イエスについていく ✣
今日は、嬉しいことが二つあります。一つは、かねてから教会に来られていた方の信仰告白とバプテスマ式、もう一つは、栗ヶ沢教会に連なるご家庭に与えられた幼な子の祝福式です。二つの新しい命を喜んでいます。
礼拝において、イエスを自らの救い主と告白し、バプテスマを受ける方は、神によって新しく創造された者として、これからの人生を歩み出します。「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた」(コリント 二 5:17、新共同訳)。そして、これらはすべて神から出ることであると続けて語られています。一人の人が、教会と出会い、聖書に証しされたイエス・キリストの十字架と復活の出来事を通して神の愛にふれ、キリストの恵みによって生きる人生の決断に至ったのは、聖霊として働かれる神の導きに他なりません。これからも、聖霊なる神が、信仰の歩みを導いてくださるようにと祈ります。そして、新しい方を群れに加えてくださる主に感謝し、迎える私たちも自らの信仰を省み、主によって新しくされて共に教会をつくっていきたいと思います。
また、教会に連なるご家庭に与えられた新しい命が、神のかけがえのない一人の人間として育まれていくことを教会は願い、幼な子と共に歩んでいきたいと思います。
●2月21日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 問い、問われる ✣
昨年の元旦礼拝で、某新聞の社説「誰も置き去りにしない」を取り上げました。SDGs17の目標を2030年までに解決するために、2020年代の10年間をどう生きるのか、それが私たちの課題だと述べられていました。
SDGs(持続可能な開発目標)は、「未来の世界をより良くするために、今世の中にある課題を世界中の全員で協力して、解決していこう」ということです。1. 貧困をなくそう、2. 飢餓をゼロに、3. すべての人に健康と福祉を、4. 質の高い教育をみんなに、5. ジェンダー平等を実現しよう、6. 安全な水とトイレをみんなに、7. エネルギーをみんなに そしてクリーンに、8. 働きがいも経済成長も、9. 産業と技術革新の基盤をつくろう、10. 人や国の不平等をなくそう、11. 住み続けられるまちづくりを、12. つくる責任つかう責任、13. 気候変動に具体的な対策を、14. 海の豊かさを守ろう、15. 陸の豊かさを守ろう、16. 平和と公正をすべての人に、17. パートナーシップで目標を達成しよう。これらのことは、キリストの福音に生きる教会としても共に考えていきたいことだとお話ししました。そしてまさかの新型コロナです。
見えないコロナに脅かされ、生活が根底から揺さぶられる出来事に遭遇し、なぜ今こんなことがと問う私たちに、自らの生き方を考えよ、と問う主の声を聴きます。
●2月14日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 信教の自由を守る日 ✣
2月11日は、「建国記念の日」と呼ばれる祝日ですが、日本のキリスト教会は、この日を「信教の自由を守る日」としています。太平洋戦争敗戦まで、この日は「紀元節」と呼ばれ、神武天皇即位を祝う日とされていました。戦後、「紀元節」はなくなりましたが、1966年12月9日に、政令で2月11日が「建国記念の日」と定められ、実質的に「紀元節」が復活しました。キリスト教会は、戦前戦中に天皇制国家体制に迎合し、協力した反省と、日本国憲法が保障する政教分離の原則に立って、信教の自由を訴え続けています。
コロナ危機の中、昨年半ばに、日本宗教連盟が政府に対し、「持続化給付金」「雇用調整助成金」の対象に宗教法人や宗教団体を含めるようにとの要請を行いました。宗教法人や宗教団体に公金を支出することは、重大な憲法違反行為です。「たとえ感染症拡大のような危機を理由にしても、政教分離原則が無視され、宗教法人や宗教団体の自主独立性が侵されることがあってはなりません」。連盟理事会は、宗教団体が自ら政教分離に反することを行おうとする姿勢に対し、断固抗議しました。私たちは、苦しい中で、誘惑に陥ってしまう弱さを抱えています。だからこそ周りで起こる出来事を冷静に見て、主の言葉を聴き、自らの立つべきところを確認していかなければならないと思っています。
●2月7日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
✣ 平和があるように ✣
「平和の像」「平和公園」など、「平和」がついた物の名前や場所、あるいは言葉が沢山あります。みなさんは、「平和」ってどういう状態をいうのですか、と質問されたらどのように答えますか。戦争と対になっているイメージがあるので「戦争のないこと」という答が多く返ってきそうですが、そう答えながら、それではちょっと不十分だとほとんどの人が思っているはずです。
「平和」という言葉の響きは耳に心地良く、気持ちのよい感覚を共有できますからいろいろなところに気安く使われていますが、実は別の言葉で具体的に表現するにはなかなか難しい抽象語です。
イエスさまは、弟子たちを、福音を伝える者として派遣される際に、訪ねた家に入る時「平和があるように」と挨拶をしなさい、と言われました。ユダヤの挨拶の言葉は「シャローム」です。「シャローム」は、人間が至福だと思うすべてのものが完全であることを意味しています。社会的にも、自己の精神においても、安らかな状態をいうのです。
私たちは今、コロナ禍の中にいて、それぞれが不安を抱えて生きています。と同時に、ひとりの人間のかけがえのなさは神の愛の中にあることも知っています。「シャローム」隣人と痛みを共にしながら、真の平和を祈って考える時なのでしょう。
●1月31日 週報巻頭言 教会員 S.M.
✣ 味噌づくり ✣
昨日、味噌の蔵出しと、新しい味噌の仕込みが行われました。例年なら、くりくりあおぞらくらぶの子どもたちと一緒に、ワイワイガヤガヤと楽しくやるところですが、今年はコロナのために、子どもたちがいなくてさびしいなあと思いながらの味噌づくりでした。
いよいよ昨年2月8日に仕込んだ味噌の蔵出しです。どんな味噌に出来上がっているのかとワクワクしながら甕(かめ)の蓋が開けられました。とても良い出来。それに、教会で作る味噌は添加物なしで、大豆と塩と麹のみで作りますから美味しいのです。早速、1袋買って味噌汁にしていただきました。この美味しさをどう表現したらよいのでしょう。言葉が見つかりません。出来たてのフレッシュな味噌の味は、この時にしか味わえません。皆さまもぜひ味わってください。
味噌づくりは、前日から水につけておいた大豆を煮て、潰して、塩と麹を加えて混ぜ、甕に仕込む。ここまでのプロセスは、味噌づくりのベテランたちが長年培ってきたノウハウで人の手の業が生かされます。しかし、甕に蓋をしてからは、もう人の手はまったく及ばず、私たちにはどうすることもできない自然の領域−気候や風や日差し等が味噌の熟成にかかわってきます。味噌を仕込んだ後は神にお任せ。私たち人間は、1年間ただじっと待つのみです。私たちには見えない所での神の働きを思うひと時でした。
●1月24日 週報巻頭言 牧師 村上 千代