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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-12-01 18:23:41 (146 ヒット)

礼拝説教「救い主誕生の預言」" Advent "  イザヤ書(Isaiah) 9:1-6
★この説教の文字原稿と動画の掲載は終了しました。
週報巻頭言「アドベントを迎えて」

  本日の礼拝は、アドベント第1週の礼拝となります。アドベントとは、ラテン語のAdventus (アドベントス)から来た言葉で、この言葉は、元来「到来、接近」を意味する名詞です。すなわち、神の御子であるイエスというお方が、この世にお生まれになる日が、間もなくやってくる時期という意味で使われます。
  アドベントのスタート日は毎年の暦によって違いますが、終わりの日は決まっています。アドベントは、毎年11月30日に最も近い日曜日から始まり、終わりは12月24日です。今年は、本日の12月1日がそのスタート日となります。
  神は、ご自身が創造されたこの世界が、平和で愛と喜びに満ちた生命でみなぎる世界となることを望まれました。ところが、現実はそうなっていません。そこで、ご自身の独り子であるイエスを、平和の君としてこの世に遣わされました。それが、「神が人となる」という出来事です。それはヨハネ福音書1章によれば、「言葉が肉となる」という出来事であると言われます。すべての人を照らすまことの光であるイエス・キリストの到来(ご降誕)を待ち望む期間としてこの期間を過ごすのです。

●12月1日 週報巻頭言  牧師 木村 一充



Today's Summary ” Advent ” by Rev. Kazu Kimura

    Today's worship service is the first week of Advent. The word “Advent” comes from the Latin word “adventus,” a noun that originally meant “coming or approach. It is used in the sense that the day when Jesus, the Son of God, is about to be born into the world is coming soon.
   The start date of Advent depends on each year's calendar, but the end date is fixed. Advent begins each year on the Sunday closest to November 30 and ends on December 24. This year, today, December 1, is its start date.
   God wanted the world he created to be peaceful, full of love, joy, and life. This world for real, however, isn’t so. Therefore, He sent His only Son, Jesus, into the world as the Prince of Peace. This is the event of “God becoming man.” According to the Gospel of John chapter 1, it is said that this is the event in which “the Word became flesh.” We spend this period of time looking forward to the coming (nativity) of Jesus Christ, the true Light of the World, who will illuminate all people.


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-11-24 17:10:06 (165 ヒット)

礼拝説教「信仰のない私を」  マルコによる福音書(Mark)  9:14-24
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週報巻頭言「信仰のない私を」

  本日のマルコによる福音書9章14節以下には、重いてんかんの症状をもつ息子を持つ父親の物語が記されています。当時、このような発作は悪しき霊に取り憑かれた人間に起きるのだと考えられていました。父親は、イエスがまだ変貌の山から戻って来るまえに、ほかの弟子たちのもとにやって来て、息子の病気を癒してくれるよう頼みました。しかし、残っていたほかの弟子たちは、悪霊を追い出すことができなかったというのです。
  イエスは、この父親の訴えを聞いて「なんと信仰のない時代なのか」と語られ、そこにいた人々の不信仰を嘆かれました。そして、「その子をわたしのところに連れてきなさい」とお命じになると、汚れた霊に向かって「この子から出て行け」と命じられ、病を癒されました。
  この出来事の直前に、息子の癒しを求めていた父親が、イエスの前で叫んだ言葉が24節の次の言葉です。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」
  世界バプテスト祈祷週間がはじまるこの朝、福音を語り伝えることと救いを求めることとの関連性について、マルコ福音書の御言葉(みことば)から聞いてゆきます。

●11月24日  世界祈祷週間礼拝 週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-11-17 17:08:22 (145 ヒット)

礼拝説教「神に従う人」  詩編(Psalms)  1:1-6
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週報巻頭言「神に従う人」

  本日の聖書箇所である詩編第1編で、詩人は「いかに幸いなことか」と語り、幸福な人生を歩む人が、どのような人であるかを語ってゆきます。それは、「神に逆らう者の計らいに従わない人」、「罪ある者の道に留まらない人」、そして「傲慢な者と共に座らない人」だと言います。これら3つの否定形によって人生の歩みを方向付けられた人の人生こそが幸いだと、詩人は言うのです。
  2節では、これら3つの否定形に対抗するかのように、幸いな人を条件付ける2つの肯定形が語られます。それは「主の教えを愛する」人であり、その教えを「昼も夜も口ずさむ」人であると言われます。「主の教え」と訳される「教え」には「トーラー」というヘブル語が使われています。これは、ほかの箇所で「律法」と訳されている言葉です。人生の歩みの中で、時にどの方向に進むべきかを迷い悩む時があります。そのような時に、神の戒めに従いこれを人生の羅針盤として進む人の人生を神さまは祝福してくださるというのです。
  長く信仰生活を歩んできた人はこの言葉を「アーメン」と実感できるのではないでしょうか。本日は、ここから御言葉(みことば)を分かち合います。

●11月17日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-11-10 16:33:24 (179 ヒット)

礼拝説教「子どものようになる」  マタイによる福音書(Matthew)  18:1-5
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週報巻頭言「子ども祝福礼拝」

  本日の礼拝は、教会につながる子どもたちの健やかな成長を願い、子どもたちとそのご家庭の上に、神さまの祝福が豊かにあるように祈る「子ども祝福礼拝」です。教会に子どもたちが与えられていることは、大きな恵みです。なぜなら、子どもたちの成長は教会全体の喜びの事柄だからです。
  本日のマタイによる福音書によると、弟子たちがイエスのところにやってきて、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と尋ねたと書かれています。弟子たちの間では、自分たちの中でだれがいちばん偉いか、という議論がしばしばなされたようです。それが、地上にいる間だけに留まらず、天国にまで持ち込まれたのです。これを聞いて、イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて言われました。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」と。
 天国に入るとは、全き救いに入れられるということです。そのためには、子どものようになることが必要だと言われます。本日は、その意味について共に考えます。

●11月10日 子ども祝福礼拝 週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-11-03 16:14:56 (209 ヒット)

礼拝説教「天の故郷を思う」  ヘブライ人への手紙(Hebrews)  11:13-16
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週報巻頭言「召天者記念礼拝」

  本日の礼拝は、当教会で先に御国に召された方々のことを覚え、その在りし日を偲び、御国における魂の平安を祈る「召天者記念礼拝」です。人間は神によって創造された者ですが、同時に有限な者であり、すべての者が「死ぬ時」を迎えます。しかし、イエス・キリストを信じる信仰に生きる者は、たとえ死んでも生きるとヨハネ福音書には書かれています。地上の生が終わってもなお神と共にある命は、永遠に神によって保持されているのです。
  本朝の聖書箇所である「ヘブライ人への手紙」では、信仰の父祖と呼ばれるイスラエルの族長たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)の名前が挙げられ、彼らがみな地上では寄留者として過ごしたことが記されています。寄留者とは、旅人という意味であり、地上の住まいを「仮住まい」と考えて過ごす人のことを指します。仮住まいは、一時的な住まいであり、本当の住まいは天国にあると彼らが考えていた、とへブル書の著者は言うのです。召天者記念礼拝を通して、「われらの国籍は天にある」との御言葉(みことば)を覚え、まことの故郷を思い起こす機会を持ちましょう。その故郷こそわれわれの魂が永遠に憩う場所なのです。

●11月3日  召天者記念礼拝 週報巻頭言  牧師 木村一充


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