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8月1日に当教会の牧師に着任してから、およそ3か月が経過しました。その内2か月は、牧師館に独りの単身生活でした。車もなく、自転車での移動だったため生活圏も狭く、地理感覚もなかなか身に付きませんでした。10月に家族がこちらに引っ越してきて、市役所を始めとする周辺の建物や施設が分かってきました。
一方、オリンピックの頃に増加の一途をたどっていた新型コロナウイルス感染者の数も、ここにきて東京都で週平均の1日の新規感染者数が二桁以内に収まるなど、沈静化の傾向が見られます。先週の役員会では、礼拝の人数を今月中に8月以前の状態に戻すことが決まり、そのアナウンスを本日の週報でおこなうことになりました。少し明るい光が見えてきています。
10月からスタートしたZoomによる祈祷会も、「定期ミーティング」に登録できたことで、事前にお知らせしているIDナンバーとパスコードを打ち込めば、いつでも参加できるようになりました。現在、10人近い出席者が与えられていることを、神さまに感謝しています。コロナ感染者の数が今の人数程度で推移するなら、教会員の家庭訪問をスタートすることも考えております。長い時間お邪魔するのではなく、どこに住んでおられるのかを確認するのが第一の目的です。何かあった時に、すぐに駆け付けられるようにするためです。来月は召天者記念の礼拝と、墓前礼拝もおこなわれます。少しずつ交わりとコミュニケーションを深めながら、慣れてゆこうと思っております。
●10月24日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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今月の第1週より、午前10時半からの水曜祈祷会が遠距離通信アプリZoomを用いて再開されています。先週はマルコ福音書2章17節より み言葉を学びました。徴税人マタイ(マルコではレビ)の召命の物語です。
イエスの時代のパレスチナは、ローマ帝国の統治下にありました。「ローマは一日してならず」の言葉通り、広大なヨーロッパ全域を属州にしたローマは、総督が個人的に採用した現地の人に徴税の仕事を任せました。地域ごとに徴税のノルマを決めて請け負わせたのです。それによって、ローマは徴税の経費を免れることができました。その代わりに、国家が求める以上の徴税を行うことを黙認しました。マタイはそのような徴税人の一人でした。
自国の同胞から税を取り立て、敵国であるローマに貢ぐ仕事です。当然ながら、このような徴税人を、ユダヤ人は蛇蠍(だかつ)のごとく嫌っていました。姦夫(かんぷ)や売春仲介者と同類の人間とみなし、見下し、共同体から締め出していたのです。しかし、イエスはそのような徴税人や罪人を招いて一緒に食事をしました。
教会は、このようなイエスに招かれ、罪許され、誇るべきものを何も持っていない人が肯定され、受け入れられる場所です。「丈夫な人に医者は要らない。要るのは病人である。」誰しも生活の中で悩みや悲しみ、重荷を負っています。そのような魂にイエスは寄り添い、ご自身の主催する食事の交わりに入れてくださるのです。私たちの教会も、そのような教会でありたいと思います。
●10月17日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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先週火曜日(10/5)のお昼過ぎに、我が家の荷物を積んだ車が教会の前の道路に停められました。8月1日から約2ケ月間、ずっと単身での生活を続けてきて、そろそろ限界かなと感じておりました。そのような中、ついに家族が引っ越してきたのです。当日は何人かの教会員の応援もいただき、荷物の搬入も無事終わって一安心。妻と長女との3人の生活が始まりました。近所の方々へのご挨拶も済ませて、ほっとしているところです。
ご挨拶回りをしていて、教会の近所の皆さまが、当教会に対してとても好意的な感情を持ってくださっていることを知りました。「昔は、子どもたちをお宅の教会学校に通わせていたのですよ」とか、「もう、そちらの教会とは何十年ものお付き合いになります」というお言葉を頂きました。それは、本当に嬉しいことでした。
牧師館に車が来たことで、教会員の訪問や駅・ご自宅への送り迎えもできるようになりました。今まで自転車を漕ぎながら坂道を上り下りして、駅やスーパー、郵便局等に出かけていましたが、今後は大幅に時間を短縮できます。仕事の範囲も広がりそうです。
先週、初めてZoomで開催した祈祷会には9人の参加者が与えられ、とても恵まれた時を過ごしました。神さまが栗ヶ沢教会での働きを導いてくださり、豊かな交わりを創り出してくださっていることを感謝しています。どうぞ、主よ、あなたの御用のために私どもを用いてください…との祈りを熱くしております。
●10月10日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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私たちの教会では、今週の水曜日(10月6日)から、これまで定例集会であった午前10時半からの水曜祈祷会を、パソコンの遠距離通信アプリZoomを使って再開いたします。遅くとも前日までに、わたし(木村)の方から、希望者の皆さまの事前にうかがったメールアドレス宛てに、URLをお送りします。そこをクリックして、Zoom画面にお入りください(URLとは、Webサイトやファイルなどのインターネット上での場所・情報を示すもので、インターネット上の「住所」と考えていただくと分かりやすいです)。
水曜祈祷会については、着任した8月より、夕べの祈祷会を対面形式で行ってきましたが、午前の祈祷会については、コロナ感染予防のため開催を見合わせておりました。しかし、9月の役員会をZoomでおこなった際に、「このやり方を祈祷会にも適用して、とにかく始めてみてはどうか」という提案があり、会員の皆さまに週報等で呼びかけたところ、何人かの方から「わたしも参加できます」というお返事がありました。それは大きな喜びです。
今、多くの教会で、会員が一ケ所に集う対面形式の祈祷会を中止にしています。しかし、祈りとみ言葉は、わたしたちの信仰を強め、豊かにするために、無くてはならないものです。祈りを通して信徒相互の交わりが深められ、神さまとの関係も整えられるのです。どうぞ、奮ってZoom祈祷会にご参加ください。
●10月3日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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旧約聖書のヨブ記が問題にしている主題は、「人間には、なぜ苦難が襲い来るのか」「そもそも、苦難の原因はどこにあるのか」という本質的な問題です。旧約聖書を生み出した民であるユダヤ人は、「苦しみ」は、本来その人が犯した罪に由来すると考えていました。そして、その罪によってもたらされる一番の苦しみが死であると考えていたのです。
このような考え方は、洋の東西を問わず、また民族に関係なく、広く浸透しているように思われます。わが国でも、仏教に由来するのでしょうか、病気や災難に直面したときに「罰(ばち)が当たったのだ」と考える人は少なくないようです。しかし、イエスという方は苦しみや生まれつきの障がいを、決してその人やその人の両親が犯した過去の罪や過ちのせいだとは考えませんでした。そうではなく、「神の御業がその人の上に現れるため」であると言われたのです。
苦難の原因を、その人の過去の罪に帰そうとする考え方からは、積極的な共生の姿勢は生まれません。冷たく人を断罪するまなざしと、それは他人事であって自分には関係ないことと受け流す冷淡な態度しか生まれてきません。しかし、苦難の中に神の御業を見ようとする人は、苦難を通して生きる意味や、苦難を克服して生きる意味について考えるようになります。聖書が、苦難の意味を説き明かしてくれる大切な指針の書になるのです。
●9月26日 週報巻頭言 牧師 木村 一充