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8月に入り、今年も8・15を迎えます。77年前のこの日の正午、昭和天皇によって、日本が連合国側の提示した「ポツダム宣言」を受け入れ、無条件降伏することが、ラジオで全国放送されました。戦争が終わったのです。
戦争の世紀と言われる20世紀が過ぎ去り、21世紀に入った今も戦争がおこなわれています。ロシアによるウクライナ侵攻が始まって約6か月になりますが、未だ停戦の見通しはついていません。新・旧約の聖書において「平和」は、その中心的なメッセージとして語り継がれました。旧約聖書には「平和」(シャーローム)という言葉が、全部で237回も使われています。まさに「最重要な言葉」の一つと言えましょう。
ギリシャ人は、平和を戦争のない「時間」として捉えました。しかし、ユダヤ人は、平和とは神の義(ツェダカ)、または神の真実(エメト)が、社会に満ち満ちている状態を指すと考えました。つまり、平和を神と人間の「関係」において捉えたのです。平和は自然に与えられるものではなく「作り出す」ものだったのです。
●8月14日 平和祈念礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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昨年の8月1日に当教会に着任してから1年が経ちました。時間の流れの早さに、今さらながら驚いています。最初の3ヵ月は単身赴任のかたちでした。テレビもなく、牧師館2階は、食事とお風呂、さらに睡眠のために使うだけで、あとは一階牧師室で日中を過ごしました。この間、牧師館のエアコンを一度も使うことがなかったため、エアコンの点け方が分からなかったほどでした。10月に家族が越してきて、初めてエアコンを稼働させました。するとどうでしょう。性能がとてもよくて、室内があっという間に冷えたのです。このとき、改めて、牧師招聘にあたって、役員を始めとする教会員のみなさまが、牧師館を丁寧に掃除し、さまざまな家具を新調してくださったことを実感しました。この場をお借りして皆さまに感謝を申し上げます。本当に有難うございました。
コロナ感染が収まらず、集会もままならない中での1年でしたが、それでも神さまの支えと守りを実感しております。 まことに微力ではありますが、神さまの助けを頂いて、引き続き、主のみ業に全力で励みたいと願っております。
●8月7日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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聖書の民であるユダヤ人は、モーセにより与えられた律法を守ることで、神に選ばれた民であることを確認し、また神との正しい関係(神の義)を勝ち取ろうとしました。その代表的な例が、割礼と安息日の遵守です。この二つを守り抜くことで、彼らは非ユダヤ人と自分たちを「区別」しようとしました。
たとえば、当時のローマ軍を構成していた兵士たちの多くは傭兵、つまり金銭で雇われた兵士でしたが、ユダヤ人は安息日に戦闘することを拒否します。それでは話にならないということで、結果的にユダヤ人は兵役の対象から除外されるようになります。このように目に見える「しるし」を外部に表すことが、ユダヤ人であることの証拠だとされました。
しかし、パウロは「外見上のユダヤ人がユダヤ人ではなく、また肉に施された外見上の割礼が割礼ではありません」と 言います(ローマの信徒への手紙2章28節)。神に選ばれた民になるために、外見は問題ではない、内面が重要だというのです。本日は「人は、ただ信仰によってのみ義とされる」という命題、「信仰義認」というテーマについて、ローマ書から学びます。
●7月31日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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使徒言行録4章では、前の章でペトロとヨハネが足の不自由な男を癒した奇跡行為のあと、そのまま神殿で民衆たちにみ言葉の宣教をしていた場面が記されています。これを見かけたサドカイ派の人々が、二人がイエスの死人からのよみがえりを宣べ伝えているのを見て、二人を捕え、獄に入れたというのです。
サドカイ派の人々は、死者の復活という教義を受け入れていませんでした。彼らは裕福な家柄出身で、サンヘドリン(最高法院)のメンバーとして幅をきかせ、大土地所有者ないしは貴族階級としての力をふるっていたのです。
この二人の投獄の翌日、議員、長老、サドカイ派の人々がエルサレムに集まります。二人を裁判にかけ、審問しようとしたのです。ペトロは、ここで「この人による以外に救いはない。」と語り、イエス・キリストという名前以外に、天下に人々を救いに導く力はない、ということを語ります。「無学なただの人」であるペトロとヨハネの宣教を聞き、彼らは驚きました。しかも、彼らの傍らには癒された男が立っていました。この彼こそ、キリストによる救いの生き証人でした。
●7月24日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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室町時代の武将である細川勝元が開設した寺であり、歴史の教科書にも掲載され、世界遺産としても知られる京都の龍安寺には、茶室に入る人が事前に手や口を清めるための手水鉢としてつくばい(蹲)が設置されています。
このつくばいを上から見ると、真ん中がちょうど「口」という漢字になっており、その上下左右に4つの漢字が取り囲んでいます。それらは、時計回りに順に「五」、「隹」、「疋」、「矢」であって、一見意味不明ですが、口を漢字の一部と見立てることで「われ、ただ足るを知る」と読むことができます。これにより、このつくばいは「知足の蹲」と呼ばれます。
本日の民数記11章では、モーセに率いられて出エジプトを果たしたイスラエルの民が、荒野での渇きと飢えに悲鳴を上げ、「エジプトにいたほうが、まだましだった」と激しくつぶやいたとあります。モーセの祈りを聞かれた主はマナを降らせて、民を飢えから救いました。しかし、イスラエルの民はこれにも不平を言ってモーセを悩ませたのです。この民の姿は、実は私たちの姿であることを思わされるのです。
●7月17日 週報巻頭言 牧師 木村 一充