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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2022-06-12 19:42:31 (435 ヒット)

礼拝説教「求めよ、さらば与えられん」 マタイによる福音書 7:7-12
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週報巻頭言「求めなさい」

 イエスがベタニアを通りかかったとき、イチジクの木が根元から枯れているのをご覧になりました。このイチジクは、先に実のならないイチジクとしてイエスに呪われた木でした(マルコによる福音書11章21節)。聖書学者たちは、このイチジクとは、不信のイスラエルのことを指していると考えます。神から選ばれ、あれほど多くの預言者から罪の悔い改めを迫られたにもかかわらず、それに聞き従わなかった神の民イスラエル…。イエスは、そのイスラエルのことを深く悲しんでおられるのです。
 これに続いて、「神を信じなさい」とイエスは弟子たちに言われます。さらに「何事も祈り求めるものはすべて、既に得られたと信じなさい。そうすれば、その通りになる」と語られました。「求めるものはすべて与えられる」という御言葉をどう考えればよいのか、有名なマタイによる福音書7章、山上の説教の一節からともに考えます。祈りとは、確かに願い求めですが、同時に神の御心を問う行為でもあります。「祈りがかなう」とはどういうことなのか、それを本日の御言葉から聞きます。

●6月12日 週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2022-06-05 15:19:31 (665 ヒット)

礼拝説教「聖霊よ、 降 (くだ) れ」 使徒言行録 2:1-8
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週報巻頭言「ペンテコステ」

 今朝はペンテコステ礼拝です。ペンテコステとは、ギリシャ語で「五十番目」ないしは「五十日目」という意味を持つ序数です。イエス・キリストの十字架と復活の出来事から五十日目に、エルサレムにとどまっていた弟子たちの上に激しい風が吹いてきて、天から舌のようなものが分かれ分かれに現れ、使徒たちの上にとどまったと聖書は言います。
 ここでいう「風」とは、そのまま「神の息」を表し、創世記2章で記されるアダムが主なる神によって鼻から息を吹きかけられて人となった出来事と深く関連しています。すなわち、聖霊の注ぎを受けて、弟子たちは生きた者になったということです。
 イエスが天に上げられた日、すなわち昇天の日から十日後にこの「聖霊降臨」が起こりました。これによって、弟子たちはさまざまな国の言葉で福音を語り始めるようになります。ゆえに、ペンテコステは教会が誕生した日というより、福音の言葉がイエスから弟子たちに継承された日、世界伝道が始まった日というべきです。

●6月5日 ペンテコステ礼拝 週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2022-05-29 15:20:40 (377 ヒット)

礼拝説教「新しい生き方」 エフェソの信徒への手紙 4:25-32
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週報巻頭言「新しい生き方」

 本日の聖書箇所のエフェソの信徒への手紙の宛先であるエフェソ教会は、コリント伝道を終えたパウロが、プリスキラとアキラという信徒の夫婦を伴って、その次に開拓した教会でした。エフェソは、コリントの対岸のアナトリア半島の西岸にあり、ギリシャ人によって建設された町でした。町の中央には偉大な女神アルテミスを祀る神殿があって、世界中の人々が参拝に訪れていました。
 そのような異教の町エフェソで、パウロは、イエス・キリストの福音を語り、キリストがユダヤ人とギリシャ人の間の対立や隔ての中垣を取り除き、十字架によって敵意を滅ぼすことで両者が互いに和解し合うことができるようになったと語ります(2章16節)。キリストによって、今やお互いが一つになったというのです。
 信仰を与えられることによって、わたしたちは古い人を脱ぎ捨て、神にかたどって造られた新しい人を身に着ける者になったと、パウロは言います。そのように新しくされた者として、私たちがどのように振舞えばよいのか。それを本日のみ言葉から聞いてゆきます。

●5月29日 週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2022-05-22 20:25:55 (459 ヒット)

礼拝説教「愛の賛歌」  コリントの信徒への手紙一  13:1-7
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週報巻頭言「愛の賛歌」

 コリントの信徒への手紙一13章には、新約聖書の中でも最もよく知られる「愛の賛歌」と呼ばれる美しい詩文が書き記されています。「愛は寛容であり、愛は情け深い…(口語訳)」この文章から始まる一連の賛歌は、教会の結婚式のなかで司式者によって必ずと言ってよいほど朗読されるみ言葉です。
 しかし、この美しい詩文が書き送られた宛先であるコリント教会は、多くの問題を抱え、混乱を極めていました。具体的には、「わたしはパウロにつく」「わたしはケファ(ペトロ)につく」という具合に、自分たちが指示するリーダーをめぐって分争(スキスマ)が生じていたのです。そればかりか、教会の中では自分たちに与えられた霊の賜物(カリスマ)に関して、賜物の優劣を競い合い、一部の高ぶる者たちが、自分に与えられた賜物を特別に誇るということをしました。まさに、目が手に向かって「お前はいらない」と言うような事態になっていたのです。
 パウロは、そのようなコリント教会の信徒たちに「最高の道」について説き明かします。それが愛(アガぺ)でした。その愛とはどういうものか、み言葉から聞きます。

●5月22日 週報巻頭言  牧師 木村 一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2022-05-15 19:35:07 (380 ヒット)

礼拝説教「方舟に入りなさい」 創世記 7:1-7
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週報巻頭言「ノアの方舟」

 旧約聖書の創世記第7章には、「ノアの方舟(はこぶね)」としてよく知られている物語が書き記されています。地上には悪がはびこり、主なる神が創造された美しい自然や、世界の秩序が破壊されていました。6章5節以下に、「主は、地上に人の悪が増し、常に悪いことばかりを心に思い計っているのを御覧になって、地上に人を造ったことを後悔し、心を痛められた」とあります。それゆえ、ご自身が造られた人間たちを、地上から拭い去ることを決心されたというのです。
 しかし、そのような神のみ心に背くことなく、忠実に神の言葉に従ったノアの 家族だけは、神の前に憐れみと好意を得た、と聖書は言います。主なる神は、やがて起こされる洪水の難を逃れさせるために、「あなたはゴフェルの木の箱舟を造りなさい」(6章14節)と命じ、ノアとその家族の命を救うのです。
 この方舟は、現代の教会であると言えるのではないでしょうか。教会は、現代社会の荒波の中で、激しく揺れ動く舟のようなものです。しかし、神の約束を信じて従う者に、神は新たなる人生と新たなる歩みを用意してくださいます。そのノアの信仰について、本日の聖書箇所より学びます。

●5月15日 週報巻頭言  牧師 木村 一充


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