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本日のルカ福音書によると、イエス・キリストが生まれた当時、ローマ皇帝アウグストゥスによって全世界の人口調査の勅令が出たと書かれています。
しかし、歴史的にみると、紀元0年前後にローマ帝国内で大きな人口調査が行われたという記録は残っていません。おそらく、キリストがダビデの町(=ベツレヘム)で生まれたことを強調するために、ルカが編集上の必要から意図的に挿入した文章だと見られています。
それにしても、身重のマリアを伴い、 ナザレから距離にして120キロ以上もあるベツレヘムまでの旅をしたヨセフの労苦は、どれほど大変だったことでしょうか。「宿屋には、彼らの泊まる場所がなかった」とありますが、そもそも宿屋自体が、人口数千人とみられる当時のベツレヘムには、ほとんどなかったのではないかと思われます。
わびしい馬屋でのマリアの出産。全世界の救い主として到来されたお方のご誕生の場所にしては、あまりにも貧弱過ぎます。しかし、この事にこそクリスマスのメッセージが込められています。本日は、この箇所からみ言葉を聞きます。
●12月25日 クリスマス礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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●12月24日 クリスマスイブ燭火礼拝 牧師 木村 一充
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イエスの時代のユダヤ社会では、子どもの結婚相手は父親が決めるのが一般的でした。本日のマタイ福音書でも、「母マリアはヨセフと婚約していた」とありますが、このときマリアは10代の半ばくらいだったと思われます。婚約はしていても、同居生活をしていたわけではありません。同居生活が始まるのは、結婚式の後からでした。ただ、婚約という事柄をもって、二人は正式な夫婦であると見なされました。
ところが、「二人が一緒になる前に」マリアは聖霊によって身ごもっていることが明らかになります。ヨセフは驚いたことでしょう。当然、マリアの不貞を疑ったことと思われます。ヨセフは「正しい人」だったので、マリアのことを表ざたにするのを避けて、ひそかに離縁することを決意するのです。
ところが、そのとき主の使いが夢に現れて「ダビデの子ヨセフ、恐れず妻マリアを迎え入れなさい」と語り告げます。ヨセフは、この主の使いの言葉をどのように聞いたのか、そのヨセフの気持ちを推測しながら、本日の箇所を共に読みます。
●12月18日 大人と子どものアドベント合同礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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「来(きた)るべき方は、あなたでしょうか。それとも、ほかの方を待たなければなりませんか」これは、牢獄の中に入れられたバプテスマのヨハネの問いかけです。
獄中にあるヨハネのもとには、ナザレのイエスの噂が、漏れ聞こえていました。その際に、これまで自分が信じてきたことと、今自分が経験していることとの間に大きな「ギャップ」を、ヨハネは感じていました。イエスが真のメシアであり、その方が来られているのであれば、すべての問題は解決してよいはずです。あらゆる悩みから解き放たれ、自らの涙は拭われてよいはずでした。ところが、そう信じてきた自分は、今「牢獄の中」にいるのです。
なぜ、キリストの先駆者である自分がこのように獄中で苦しまなければならないのか。自分の信仰は本当に正しかったのだろうか。このまま、イエスをキリストと信じ続け、キリストに賭けて生きていってよいのだろうか。そのような迷いと疑いの中で、ヨハネはイエスのもとに使いを送りました。そして冒頭の質問を投げかけたのです。いったい、イエスはどのような意味で「キリスト」(=救い主、メシア)なのでしょうか。本日は、この問いに答えるかたちで聖書から、聞いてゆきます。
●12月11日 第3アドベント礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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「見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。この名は、『神は我々と共におられる』という意味である。」イエス・キリストの誕生をめぐるこのイザヤの預言の言葉が、マタイ福音書1章に引用されています。福音書記者マタイは、イエスの誕生の出来事が旧約の預言の成就であると考えているのです。
預言者イザヤが、この預言の言葉を語ったのは、ユダの王国がアッシリアの攻撃を受ける前、北王国とシリアとの連合軍にエルサレムを包囲されるという危機に直面した時のことでした。イザヤは、アハズ王に向かって、次の神の言葉を取り次ぎます。「落ち着いて、静かにしていなさい」さらに、イザヤはアハズ王に向かって言います。「主なるあなたの神に、しるしを求めよ」と。危機の時代に生きる指導者に必要なことは、神の言葉により頼み、神にしるしを求めることだと助言したのです。しかし、アハズ王はこれを拒みました。
人間の策略や知恵で、天下の大事を乗り越えることはできません。むしろ、それは国を滅ぼす結果に繋がります。現代世界における混迷と戦争が、神の言葉を無視するところから来ていることを思わされるのです。
●12月 4日 第2アドベント礼拝 週報巻頭言 牧師 木村 一充