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『サザエさん』等の作品で知られる漫画家の長谷川町子さんの母、貞子さんは、聖公会のクリスチャンだったことが知られています。ご主人を若いうちになくし、女手ひとつで3人の娘たちを育て、一家を切り盛りした「やり手」でした。戦後、福岡から上京した貞子さんは、世田谷に居を構え、町子さんの漫画を出版する会社「姉妹社」を設立します。その資金を工面するため、自らの実家を売却したと言います。
『サザエさん』の原稿を、締切に間に合わせようと始終四苦八苦していた町子さんが、一日の仕事を終えて食卓に着こうとすると、母親の貞子さんから、決まって「思い煩うなかれ」という聖書の言葉を聞かされたそうです。そのみ言葉によって、慰めや励ましを得て、町子さんは、あの国民的人気漫画『サザエさん』を描き続けることができたのでした。
あの「サザエさん」の底抜けの明るさ、屈託のない性格は、母親の貞子さんが見本だったのでしょうか。日曜の夕方の時間に流れて来る『サザエさん』の主題歌を思い起こしながら、昭和の懐かしき時代を回顧するのです。
●9月25日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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国民の祝日である「敬老の日」を迎える9月のこの週に、聖書の中で「長寿」や「死」の問題がどのように扱われているかを探ることは、意義深いことだと思われます。
第一の興味深い事実は、聖書では信仰の父祖たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)や王、さらには預言者に至るまで、その死に際して、彼らが立派な葬儀をもって送られたという記録が全くと言えるほどないということです。イスラエルに最盛期をもたらしたあのダビデ王でさえ、その死に関しては「彼は高齢に達し、富と栄光に恵まれた人生に満足して死に、彼に代わって息子のソロモンが王となった」(歴代誌上29:28)と、短く紹介されるだけです。
第二は、聖書はおよそ人間の「死」をめぐって詳しい描写を通してその「死に様」を説明しようとしないことです。いかに死んだかが詳しく記述されるのは、ナザレのイエスただ一人と言ってよいくらいです。このことから、聖書の関心事は死よりも「生」にあると言えるでしょう。人の命は、地上においても天においても神と共にあるという理解が、背後にあったわけです。
●9月18日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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エフェソの信徒への手紙は、アジア州の首都として栄えた港町であるエフェソにある教会の信徒に向けて、獄中にあったパウロから書き送られた手紙です。エフェソには、アルテミスの女神を祀る神殿があり、異教が支配する町でした。
このように、ギリシャ文化の強い影響を受けた町の教会ですから、信徒たちは異教の神々を信じる異邦人たちに取り囲まれており、さまざまな困難やこの世の誘惑に曝されました。文字どおり、信仰の戦いを戦わねばならなかったのです。それゆえ、エフェソ人への手紙は励ましと勧告の言葉で満ちています。
本日の聖書箇所で、パウロは「悪魔の策略に対抗して、立つことができるように神の武具を身に着けなさい」との、勧めの言葉を語っています。このようなパウロの言葉は、時代や場所を超えて、いつ、どこにおいても当てはまります。私たちもまた、この世の諸々の力と戦いながら、信仰生活を送っているからです。サタンの誘惑は、常に私たちに襲いかかってきます。油断することなく、神の武具を身に着けて、信仰の戦いに勝利しましょう。
●9月11日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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9月になりました。季節が変わり、秋の収穫の季節を迎えます。こちらにやって来て気が付いたのですが、松戸から白井、鎌ヶ谷にかけて梨農園があちこちにあり、今はちょうどその収穫の時期にあたっているようです。鳥取県の名産と言われる20世紀梨も、もともとは千葉県が発祥の地と聞いて驚きました。
イスラエルにおける代表的な果物は、何と言ってもぶどうです。「乳と蜜の流れる地」と呼ばれたカナンですが、その「蜜」とは蜂蜜ではなく、ぶどうの蜜であったのではないかと見られています。9月下旬から10月の初めにかけて、収穫の時期を迎えると、ぶどうの芳醇な香りが、辺り一面に漂うのです。
本日の「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である」は、ヨハネ福音書の中でも特に知られるイエス様のお言葉です。この言葉が、新約聖書の教会にとって、どれほど大きな意味を持つ言葉であったかを、この朝はともに分かち合いたいと思います。私たちもまた、信仰によって、固くキリストにつながり、大地にしっかりと根を張るものになりたいと思います。
●9月4日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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本日の聖書箇所、創世記28章では、ヤコブという双子の兄弟の弟が、約束の地を離れ、母の故郷であるハランに向かう途中で見た夢のことが記されています。その前の27章で、ヤコブは父親を欺き、本来長子である兄エサウが受け取るはずだった父イサクからの祝福を奪い取りました。それには、母リベカの入れ知恵があったことも無視できません。
信仰の父祖と呼ばれるアブラハムの系譜は、決して、模範的で立派な信仰の持ち主によって信仰が受け継がれていたわけではありませんでした。むしろ、家族間の対立や長子の特権をめぐる争いが見られるなど、ごく普通の「罪人(つみびと)」が集う家族だったのです。
本日の箇所で、ヤコブはベエル・シェバを離れ、ベテルという所に着きます。日が沈んだため、そこで石を枕にして横になり、一夜を過ごそうとしました。すると、彼は不思議な夢を見ました。先端が天にまで達する階段が地上に向かって伸びていて、そこを天のみ使いたちが上り下りしていたのです。その夢にはどのような意味があったのか。本日はこのヤコブの見た夢から、み言葉に聞きます。
●8月28日 週報巻頭言 牧師 木村 一充