メッセージ : 主イエスについていく
【主イエスについていく】
魚を獲(と)る。それがこの男たちの生業だった。岸辺に立ち、湖面をにらみ、舟を送り出し、網をうった。さあどうだ。引きあげる腕にあの嬉しい重みがくい込むか。その喜びと落胆が、男たちのすべてだった。魚を獲る。糧を得る。それゆえに生き得たし、そのために生きた。それしか知らなかった。櫓のきしみ、湖面をたたく網。その音だけを聞いて男たちは生きていた。
「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう。」 突然、声を聞いた。生まれてこのかた聞いたことのない言葉だった。彼が誰で、どこへ行くのか。何もわからなかったのに、なぜだか、からだの真ん中に熱のかたまりが生まれた。
「ついていく」という生き方など、考えたこともなかった。が、そこに、知らないでいた生き方があるように思えた。
「ついていこう。」輪郭もわからないまま、男たちは、こみあげてくる熱いものに身をゆだねた。
人間をとる。彼・イエスのあとに従った男たちは、やがてそのしごとに伴う痛みと愛の深みに触れていった。そして、あの日の熱いものが冷めることはなかった。
●聖書マルコ福音書1:16-20 週報巻頭言 吉高 叶
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