魂の事件
先日の夜の祈祷会で、直前に放映されたNHKの“クローズアップ現代〜なぜ孤独死?働き盛りの悲劇〜”が話題になった。若い人々の孤独死の問題だ。困り果て、死が迫っているほど苦しんでいるのに、「助けて」と言えない人々・・・。
人は助けられて生きる。支えられて生きる。このことへの経験も実感も確信も持てないほどに分断されてしまっていたのだろうか。孤独だったのだろうか。そして、自分の重要な何かが失われたとき、人生の全てがすっかり消えてしまうほどに、「自己存在の意義」の中に他者との繋がりが入り込む余地がなかったのだろうか。
しかし、問いは、こちらに向かってはね返ってくる。果たしてわたしは、それらの人々に向かって、「わたしたちは、いざという時あなたを支える繋がりだ」と告げてきただろうか、と。繋がりの問題なのだから、こちらの問題でもあるのだ。
初代教会。ペンテコステから始まり、次々と人々が加えられていく出来事は、そして全てを持ち寄って共に生きた様子は、いったいどんな事件だったのだろう。きっと人間の存在性における繋がりの問題に新しい何かが引き起こされたのだろう。「生きるって何なのか」「自分の命は何かと繋がっているのか」という人間の魂の琴線に触れ、それゆえに「誰か助けて!」「誰か来て!」と求めていた人々を揺り動かし、結合させるような事件だったに違いない。
牧師 吉高 叶(10月11日巻頭言より)
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