メッセージ
メッセージ : 2022年 5月 1日 主日礼拝
週報巻頭言「感謝すべきかな」
ローマの信徒への手紙7章7節以下には、かつて罪と死の律法のもとにあった「わたし」がいかに悲惨であったかが、モノローグ(独白)の形式で表現されています。この「わたし」はいったい誰なのか。宗教改革者ルターは、回心してキリスト教徒となったパウロを指していると解釈し、それ以来、これが有力な見解として多くの人に支持されてきました。
若き頃、ファリサイ派のユダヤ人としてエルサレムに上京し、律法を深く学び、熱心さの点では誰にも引けを取らないと自負していたパウロ(フィリピの信徒への手紙3章6節参照)が、イエス・キリストとの出会いを通して信仰的な転向を経験させられて、「わたしは、律法に対して死んだ」と告白するまでになったのです。
なぜパウロは、それまでの信仰理解、すなわち「人は律法のおこないによって救われる」という考え方(行為義認論)から、「人は、ただ信仰によってのみ救われる」(信仰義認論)という考え方へ方向転換したのか。その間の消息を、本日はローマの信徒への手紙7章25節に登場する「カリス」という言葉(恩寵、または感謝と訳されるギリシャ語)の意味を考えることを通して、分かち合ってみたいと思います。
●5月 1日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
- 2022年 5月15日 主日礼拝 (2022-05-15 19:35:07)
- 2022年 5月 8日 主日礼拝 (2022-05-08 19:25:13)
- 2022年 5月 1日 主日礼拝 (2022-05-01 15:06:25)
- 2022年 4月24日 主日礼拝 (2022-04-24 15:21:02)
- 2022年 4月17日 イースター礼拝 (2022-04-17 15:39:48)
- 2022年 4月10日 受難週主日礼拝 (2022-04-10 16:08:43)
- 2022年 4月 3日 主日礼拝 (2022-04-03 17:09:29)
- 2022年 3月27日 主日礼拝 (2022-03-27 15:50:46)
- 2022年 3月20日 主日礼拝 (2022-03-20 16:36:49)
- 2022年 3月13日 主日礼拝 (2022-03-13 16:34:42)