メッセージ : 人生と困惑
【人生と困惑】
パウロは(パウロでさえ)、「罪を脱したいと心底願いながら、そこから脱することができない」と呻いています。
私たちもまた、「罪なき者」でありたいと望んでいますが、どうしてもそうなりません。自らをむち打つようにして罪を抑えようとしても、自己というものがあり、肉体というものがある以上、私たちは罪から離れることはできないのです。
人間が「生きる」ということには、根源的に「罪の困惑」が伴っているのではないでしょうか。ただし、考えてみれば、この困惑や苦しみを憶えることは、人間としてとても素敵なことでもあります。何をしようがお構いなし。誰を泣かそうが無関心・・・。決してそうあることはできず、良心や良識を持ち、道義や道理をわきまえるからこそ、ましてや、神の前に立っていることを知るからこそ、私たちは苦しみ、困惑するのです。それが人間というものです。
しかし、その罪の中に生まれたもうたキリストを私たちは信じるのです。罪に死に、永遠の救いによみがえらされたキリストに私たちは与るのです。神の国は、実にこの罪人の中にあるのです。
●11月14日週報巻頭言 吉高 叶
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