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旧約聖書のヨブ記が問題にしている主題は、「人間には、なぜ苦難が襲い来るのか」「そもそも、苦難の原因はどこにあるのか」という本質的な問題です。旧約聖書を生み出した民であるユダヤ人は、「苦しみ」は、本来その人が犯した罪に由来すると考えていました。そして、その罪によってもたらされる一番の苦しみが死であると考えていたのです。
このような考え方は、洋の東西を問わず、また民族に関係なく、広く浸透しているように思われます。わが国でも、仏教に由来するのでしょうか、病気や災難に直面したときに「罰(ばち)が当たったのだ」と考える人は少なくないようです。しかし、イエスという方は苦しみや生まれつきの障がいを、決してその人やその人の両親が犯した過去の罪や過ちのせいだとは考えませんでした。そうではなく、「神の御業がその人の上に現れるため」であると言われたのです。
苦難の原因を、その人の過去の罪に帰そうとする考え方からは、積極的な共生の姿勢は生まれません。冷たく人を断罪するまなざしと、それは他人事であって自分には関係ないことと受け流す冷淡な態度しか生まれてきません。しかし、苦難の中に神の御業を見ようとする人は、苦難を通して生きる意味や、苦難を克服して生きる意味について考えるようになります。聖書が、苦難の意味を説き明かしてくれる大切な指針の書になるのです。
●9月26日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
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