✣ 自由度と自由意志 ✣
自然災害について私たちは、どのように受け取ればいいのでしょうか?
1)自然(じねん)自らあるもの、自ら生ずるもので仕方がない
2)天罰だ、試練だ、悔い改めよ
3)神様が人を苦しめ殺すのは理不尽だ、神も仏もあるものかも仏もあるものか!
すべては御心のままに…と達観できれば良いのですが…。
人間の視点ではなく神様の視点で自然を眺めてみましょう。
創世記1章31節「神はお造りになったすべてのものを御覧になった。見よ、それは極めて良かった。夕べがあり、朝があった。第六の日である。」
神の創造の御業が完全無欠なものであると捉えるか、それは「極めて良かった」をどのように聖書解釈するかにかかっています。「三位一体の神」理解と同じように文脈から、章全体から、聖書全体から本質的なところを読み取れば…。神様は人には自由意志を与え、生物には自由行動を与え、無機物には自由度を与えられたのではないでしょうか?
人知れず暗闇の洞窟の中で数百万年かかって成長していく結晶の美しさ。
「栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」マタイ6章29節
神様が無機物に与えられた自由度による自然災害はあくまでも4次元の物質世界の中で起こっていることであり、それを私たちがどのように捉えるかは各自の自由意志にかかっていると思います。
●4月18日 週報巻頭言 教会員 K.T.
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