メッセージ : 神の恵みからの出発
「神の恵みからの出発」
パウロが明確に取り次いでくれた福音は、「救い(神様から義とされること)は、律法(人間の努力の積み重ね)によってもたらされるのではない。ただ信仰によって義とされるのだ」ということです。これをキリスト教では「信仰義認」といいます。
すると、すぐに勘違いしてしまうのが、「それでは、信仰を強くしなければならない」ということです。もし、人間の信仰心の強さが人間を救うのなら、それも律法と同じ事になります。
そうではなく、人間のあらゆる善や行為と関係なく、ただ神様の恩寵によって、罪人であるがゆえに滅ぼされなければならない私が赦され(そのためには、裁かれねばならない罪の裁きをイエス・キリストが代わりに背負われたのですが)、義とされたのです。信仰とは、この神の恵みを信じ、受け入れるということです。一般真理としてでなく、神様が私のためにしてくださった御業として、これを信じ受け入れるとき、この恵みの業(救い)が、私の人生に実在する出来事となり、救われた者としての生が立ち起こるのです。人間の救いにとって、必要な総ての業は神様が成し遂げてくださっています。人は、それを信じれば良いのです。
●10月10日 週報巻頭言 吉高 叶
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