✣ コロナは、わざわい? ✣
先日の会議で、ある先生から、「コロナ禍」という表現について指摘がありました。それは、コロナ自身は「わざわい」なのか、という問いでした。コロナはふりかかってきたもの。人間による環境破壊や、地球温暖化の影響によって現れたであろうものを、単に「わざわい」としてよいのか、「わざわい」とマイナスイメージだけで捉えてよいのかということでした。この未曽有の出来事を、わたしたち人間の新しい生き方へのチャンスにもなりうる出来事として捉え、わたしたちは、「コロナ禍」ではなく「コロナ危機」と言い表した方がよいというのがその先生のご意見でした。なるほど、、、わたしたちは、というか、わたしは、それまで「コロナ禍」という表現に何の違和感ももたずに使っていましたので、とても考えさせられました。
また、「わざわい」は「さばき」と結びつく言葉であり、一部の教会で、コロナ感染が「神の罰」として語られ、それが感染した人への差別につながっているということも聞いています。コロナは、決して「神の罰」ではないのです。そのようなことからも、「コロナ禍」という言葉を教会が用いるのは相応しくないと気づかされました。神は、この危機の中で苦悩するわたしたちに寄り添っておられ、どのような苦しみの中にあっても支えてくださる方なのであります。
●6月14日 週報巻頭言 牧師 村上 千代
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