メッセージ : よく見て、手で触れる交わり
【よく見て、手で触れる交わり】
「信仰」はどうしても観念的になっていきます。また「信仰」はどうしても個人的になっていきます。「自分の、心の問題」という風に、わたし固有の感じ方や生き方に還元されてしまいがちです。けれども、その「わたし」の感じ方や信じ方は、いつも風に吹かれるように相対化されているべきです。「わたしのためのキリスト」ではなく、「キリストの(働きの)ためのわたし」という風に、自分を見つめ直すときに、「わたし」が相対化され、キリストに生きるための隣人性や共同性が、心に生まれてくるのです。
教会とは、キリストによって、「わたし」から自由にされながら、キリストのために一緒に生きようとし、キリストの名のもとに交わりを為そうとする共同体なのです。
初代教会でも、世代が進むと、次第に信仰が観念的になり、個人的になりました。自分の霊的な高揚や深まりが信仰の目的になり、喜びになりかけていました。
「キリストの福音は、交わることと愛し合うことの中にのみ光がある」。ヨハネは、あくまでも「交わり」に生きるようにと、仲間たちに呼びかけました。
8月29日週報巻頭言 吉高 叶
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