平和のいましめ、いのちの掟
わたしの祖父は尋常小学校の先生をしていました。大分市の片田舎の学校で美術を教えていました。なんということはない普通の教師でした。しかし、太平洋戦争が激化する中で、教室で子どもたちに向かって語った祖父のたったひとことが、人生を変えてしまいました。「先生は、みんなを、この戦争に、行かせたくない」。
翌日、その村のおもだった人々が学校につめかけ、「非国民をここに出せ!」「アカ教師を辞めさせろ!」とさわぎました。同僚たちからも白い目で見られ、ののしられました。祖父は、学校を追われ、村を追われました。
親戚のコネをたどって、ずっと離れた村の小学校の教師になりましたが、あっという間に「事件」の噂は広がり、ふたたび職を追われ、そこにも住めなくなりました。まもなく祖父は、失意と憔悴のあげく、血を吐いて倒れ、死にました。家庭科の教師をしていた祖母への弾劾も執拗で、心労がたたって、彼女も間もなく死にました。
幼かった私の母は、叔父の家にひきとられましたが、その村で幼い少女を待っていたのは、「非国民の子」「アカの子」という誹りといじめでした。叔父たち一家からも、おまえの父ちゃんは「どえらいことをしでかしてくれたもんだ」と辛くあたられ続けたのです。 これも戦争です。戦争の悲惨の一つの場面です。母は、魂の奥底に、いまでもこの「戦争」を引きずって生きています。
ものごころついた私に母はよく言いました。「人間はときとして残忍だ」「人間の心には恐ろしいものがある」「戦争は、それを呼び起こす」「かのう。戦争は、ぜったいに、だめだ!」。 そして言いました。「神さまを信じなさい。神さま以外のものに絶対にひれ伏してはならない。」「それは、まちがいのもと。」
母の言葉は、命にかかわる「いましめ」として、私の心に刻まれました。そして、未だに、私が何事かを考えるときに、心の中で「きーん」と鳴る音叉のような振動を残し続けています。
平和祈念の日に 吉高 叶
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