✣ 主がお入り用なのです ✣
エルサレムの近くで、イエスさまは弟子たちに命じました。【…向こうの村へ行きなさい。…ろばがつないであり、一緒に子ろばのいるのが見つかる。…わたしのところに引いて来なさい。もし、だれかが何か言ったら、『主がお入り用なのです』と言いなさい。すぐ渡してくれる】(マタイ21:2-3)。
『主がお入り用なのです』。心に響きます。
ある人が、「教会で何かを人に頼むときに使える“フレーズ”だ」と言いました。
『主がお入り用なのです』は、聖書を読み始めたばかりの人、信仰初心者、なまくらな信仰の人には殆ど無力な言葉ですが、聖書をよく読んでいる人、いつも熱心に奉仕する人にはテキメンです。その人は、「依頼された事柄は、主の御心かもしれない」と考えて、真剣に祈り始めます。そして、神と人に喜ばれると確信したら、喜んで引き受けてくれます。
もし引き受けられないときには、ただ「お断りします」で終わりません。より良い方法を一緒に考えたり、相応しい助け手を紹介するなどして、必ず力になってくれます。
聖書によると、イエスさまはエルサレム入場に際し無価値と見下された“ろば”を選びました。なぜ、「勇ましい馬」に乗らなかったのか?
その答えは旧約聖書の預言者の言葉にあります(ゼカリヤ9:9-10)。当時の人々には、馬は「戦争」を連想させる家畜であり、“ろば”は「平和な日常」を思わせる家畜でした。
“救い主(メシア)”が働くとき、立派な軍馬ではなく、素朴で不格好な“ろば”が必要です。“ろば”は、あなたです。
●3月12日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
- 2025年 8月17日 主日礼拝 (2025-08-15 19:51:17)
- 2025年 8月10日 平和祈念礼拝 (2025-08-10 16:50:45)
- 2025年 8月 3日 主日礼拝 (2025-08-03 17:47:24)
- 2025年 7月27日 主日礼拝 (2025-07-27 18:18:01)
- 2025年 7月20日 主日礼拝 (2025-07-20 18:07:50)
- 2025年 7月13日 2025年音楽礼拝 (2025-07-13 16:29:42)
- 2025年 7月 6日 主日礼拝 (2025-07-06 16:48:58)
- 2025年 6月29日 主日礼拝 (2025-06-29 16:13:45)
- 2025年 6月22日 神学校週間礼拝 (2025-06-22 15:13:17)
- 2025年 6月15日 主日礼拝 (2025-06-15 15:33:37)