メッセージ : 主の祈り、世の祈り、命の祈り
【主の祈り・世の祈り・命の祈り】
祈りの熱心さとは何でしょう。熱心な祈りとは何でしょう。
自分の中の願いが膨れて、そこから神の業を起こそうとするのではなく、隠れたことや人間にほんとうに必要なものを既に知っている神様の御心に聴こうとすることが祈りの本質だとするなら、熱心な祈りはいよいよ沈黙に近づいていくのではないでしょうか。
とはいえ、祈りは瞑想ではありません。現実の生の中から天の父に向かい合って交わされる対話でもありますから、現実の生にうごめく様々な感情や求めが心から口にあふれ出さざるを得ないでしょう。ただ、そこにおいてなお、神の御心に聴く位置に居続けていなければならないのです。
主イエスが教えてくださった「主の祈り」は、祈りの一例ではありません。祈りの本質と限界を教えてくれています。人は何を祈るべきか。そして人は何者として祈っているべきかをです。
人は、祈りにおいて、人間の力の限界や生の範囲を学ぶのです。と、同時に、神の祝福と愛を知るのです。そこで、真のいのちの姿が創られます。
5月2日週報巻頭言より
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