メッセージ : どこまでもインマヌエル
【どこまでもインマヌエル】
「十字架から降りてみろ、そうしたら信じてやる」。この言葉に、人間の「信仰」に潜む不遜と傲慢が十分に込められています。人間は、神に要求し、神を診断し、神を認定するのです。それを「信仰」だと考えています。
もし、主イエスがあの時十字架から降りてきたら、どうだったでしょうか。
「神の子」の力で、壮絶な苦しみと悲惨の場から離れてしまわれたなら・・・。世界は彼の力を崇拝するでしょう。しかし、罪のもがきと死の恐れを抱え込みながら生き、自らの孤独な死を死ななければならない私たちとはかけ離れた、異質な存在であったでしょう。
人間の生の実態において、起こりうる最悪の死のすがたに留まり、人間が舐めさせられる最悪の絶望を味わい、神と人から切り捨てられた「罪人の死」を主イエスは死にました。殺される死を彼は死にました。
主イエスは、私たちの生きる苦しみと無関係な方ではないし、私たちの死と無関係な方ではないのです。私たちのあらゆる命の場に、インマヌエルしてくださる方なのです。
●吉高 叶
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