【キリストに結ばれる、一つの体】
パウロは、教会が一つの体であることを、まさに身体の四肢のたとえを用いて話します。手と足の働きの違いがある。目と耳の役割の違いがある。けれども共に一つの身体だと。
この身体のたとえはとてもわかりやすいのですが、実は、パウロが考案したものではありません。当時、ローマの植民地ではよく引用されていた常套のフレーズでした。でも使い方がまるで逆です。ローマ帝国の支配構造を維持し平和と安定を保つために、下層民は下層民としての立場に、奴隷は奴隷としての立場に、不満を持たずに甘んじているように。身分の差別や富の不均衡は、帝国構造の秩序維持に必要なものなのだ、と説き伏せるためのたとえでした。
しかし、パウロは、同じ体のたとえを用いながら全く別のメッセージを放っています。一つの部分が苦しめば全ての部分が苦しみ、一つの部分が尊ばれれば全ての部分が共に喜ぶという一つの体の特性、痛みや喜びのつながりの特性に注目します。さらに、「体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要」と言うように、人間が考えてしまう賜物論(人間の能力論)を、神の働きのもとで、まったく相対化してしまいます。
ここに、新しい一致の思想、オルタナティブな共同性の提示があります。
●吉高 叶(3月7日 週報巻頭言)
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