「福音にあずかる私たち」
「福音のためなら、わたしはどんなことでもします。」パウロのこの言葉はとても勇ましく聞こえます。「たとえ火の中水の中」といった、情熱的で決死の献身、もう脇目をふらない一途さを連想させる言葉でもあります。
しかし、この言葉の「熱さ」に目を引かれるばかりに、この言葉が含意している「他者性」のことを見落としてはなりません。パウロは「どんなことでもしようとする自分の情熱」に関心があるわけではないからです。
彼は、目の前に出会った人が、キリストにとらえられるために、その人がどんな立場の人であっても、そのままを受け止め、その人の全人格に向き合うこと、そのためには「その人のようになる」ことの大切さを語っているからです。
「どんなことでもします」とは、「今、目の前のことに大切に向かい合います」ということなのです。「どんなことでもします」とは、「キリストに向けて、いま、これを、この人を、この時を尊びます」ということなのです。「どんなことでもします」は、全て「福音に共にあずかる」ことにかかっています。
だから、わたしたちは「どんなことでもできる」人間になることに憧れる必要はありません。ただ、「いま、ここで、あなたと福音をわかちあえる、そんな私になれますように」と祈れば良いのです。
●吉高 叶(2月14日 週報巻頭言)
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