メッセージ : アブラハムの決断
✣ アブラハムの決断 ✣
私たちは“聖書のことば”を信じることも出来るし、信じないことも出来ます。どちらも自分で選ぶことができる。族長アブラハムも、私たちと同じ条件のもとにありました。ただし、アブラハムは決断を求められると必ず信じる方を選びとっています。息子イサクとの会話が証ししています。
『…「わたしのお父さん…焼き尽くす献げものにする小羊はどこにいるのですか」「…子よ…きっと神が備えてくださる」二人は一緒に歩いて行った。』(創世記22:7)
子は親の背中を見て育つといわれます。子を見れば、その親が判るともいわれます。親の考え方、態度は子の成長に少なからず影響します。イサクをささげる物語では、神さまを信頼する父親アブラハムを、息子イサクが信じています。火と薪はあるが、屠(ほふ)る小羊は見当たらない。それにもかかわらず、神さまを信頼する父親。子はその父を信じる。体を縛られ、薪の上に載せられても、子は父親に身をゆだねる。
ある人が言いました。「私たちの頭で分かる時だけ従うのは信仰とは言わない。それは打算である。」この物語の基本線は“応答する信仰”です。神さまの呼びかけとアブラハムの応答。これを神さまと「私」の関係に重ねてみるのです。
●8月3日 週報巻頭言 山田 幸男
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