メッセージ : 植えられたところで咲く
植えられたところで咲く
「召された時の、そのままを大切に、そこで精一杯主に仕えて生きよう。」
パウロはコリントの教会にそう呼びかけています。
生粋のユダヤ人か、異国育ちのユダヤ人か、それともローマ人か、ギリシャ人か。富裕層たる自由人か、元奴隷出身の自由人か、それとも奴隷身分か。
自己理解を振り分けてしまうこうした座標軸がコリントの街にはあり、様々な異相が人々の間に見られ、それが原因でいくものグループに分かれてしまおうとしていたのがコリントの教会でした。
すべての人間を創り成長させてくださるのは神。そして救いの土台はキリスト。さらに、終末の審判の前で全ての人間は等しく扱われる。しかも「その日」は近い。パウロは、このシンプルで明快な確信に立っています。また、「キリストの十字架の救いに与る者」という新しい自己理解(アイデンティティー)の共有を呼びかけています。
わたしたちも、この世の基準に翻弄させられず、召された時の自分を喜び、植えられたところで花を咲かせていきたいものです。
2月7日・週報巻頭言
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