十字架を宣べ伝える
神は、人間の知恵を積むことによってとらえることはできません。また、人間の行いを清くすることによって近づける方でもありません。では、神はどこで見いだされるのでしょうか。神は、十字架におられます。
たとえば、15年前のあの阪神・淡路大震災の最中に、命を落とさざるをえなかった人々の絶叫の中に見いだすことができます。家族を失った人々の深い嘆きの中に見いだすことができます。そして今、ハイチで絶望の叫びをあげている人々のただ中に神はいらっしゃいます。十字架のキリストは、人々から捨てられたあのイエス様は、そのとてつもない苦しみと孤独と絶望の中におられるのです。
自然災害や理不尽な出来事に見舞われたとき、人は論じようとします。「それらはどうして起こったのか。」「どのような罪に対する神の審きなのか」「後で何かを教えるためなのか」。そのように問うたり、それに答えを与えようとすることこそが、人間の傲慢であり、神をつかんでしまおうとする人間の愚かな知恵です。それらは全て隠されているのです。にもかかわらず、人間がそれを説明してしまおうとすることを通して、どれほどたくさんの人たちを傷つけていることでしょうか。
しかし、ただ一つ、神がイエス様によって明らかにされた一つのことがあります。「十字架に苦しむ御子は、この嘆きとこの絶望の中に共におられる」ということです。わたしたち人間は、十字架に現されたこの一点の事実から、慰めと祈りとを起こしていくべきです。いま、ハイチの人々のことを心配しながら、わたしたちが知らなければならない根源的なことは、「キリストは、神さまは、あの中で共に苦しみ、あの絶望の中にいる人々の命を抱きしめている」ということです。
そして、私たちがしなければならないこともまた、できるだけ犠牲者たちと悲しみを共にし、この苦しみの意味を地上から問いながらも、絶望しないで生きていくこと。「生きていこうとする」ことにおいて被災地の人々とできるかぎり繋がっていくことができるようにと祈ることではないでしょうか。
1月17日・説教より抜粋
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