メッセージ : 十字架、神の義と愛の闘い
【十字架、神の義と愛の闘い】
どうして、この私の救いのために、主イエスは十字架にかからなければならなかったのか?この問題は、生きる間中、繰り返し身に迫ってくるテーマである。
私という罪人を赦すなら、「赦す」と宣言して放免すれば良いだけではないのか?なぜ、神は、独り子を犯罪人の一人として十字架に掛け、人々からの嘲弄、弟子たちの裏切り、神の沈黙、肉体の極限的な苦痛、そして渇き切った死を味あわせたのか?そこに、わたしの何があるからだ、と言うのか?
十字架は、神の義と神の愛が交差するところだ。神が義でなければ、この世界に秩序も倫理も何もあったものではない。罪は断罪され、悪は裁かれねばならない。しかし、そうだとしたら、果たして私は神の前に立っていられるのか?
しかし、神は「愛の神」であられた。裁かねばならないこの私を、赦すために「義にして愛なる神」がどれほど苦しんだことか。「赦す!」私への愛を選ぶために、神の義の剣は誰に向かったのか。
十字架は、神が私に対して、義ではなく愛の神であろうとしてくださった神の闘いの場であったのだ。
●3月24日週報巻頭言 吉高 叶
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