メッセージ : 祈りー瞼を閉じれば、そこは神の庭
【祈り−瞼を閉じれば、そこは神の庭】 ローマ8:22−28他
祈りの姿勢。それは祈りがどのようなものであるのかを端的に示しています。私たちは祈るときに目を閉じます。それは、自分の目で見ている世界から遮断されるためです。目は最大の情報の入り口です。そして人間の判断の起点です。それゆえ、目で見えているものに左右され惑わされるのです。瞼を閉じることによって、それらからいったん遮断され、神が見ているもの、神が見せようとしてくださることに与ること、これが祈りの姿勢です。詩篇にはこうあります。「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」まさしく“瞼を閉じれば、そこは神の庭”なのです。
祈るときに私たちは手を組みます。それは、自分で全てに携わろう、自分で全てを解決しようとする思いを断ち切るためです。手は、人間の行為の象徴です。あらゆる行動の起点です。手を組むことによって、人間の行為からいったん遮断されるのです。
祈りは、「神の目が見る世界」「神の御手が働く世界」に自らを移し、そこでこそ神に問いかけ、神から御旨を聴かされていく「神との交わりの場」なのです。
●2月17日週報巻頭言 吉高 叶
- 2026年 2月22日 主日礼拝 (2026-02-22 16:03:00)
- 2026年 2月15日 伝道開始記念礼拝 (2026-02-15 16:17:57)
- 2026年 2月 8日 主日礼拝 (2026-02-08 17:06:46)
- 2026年 2月 1日 主日礼拝 (2026-02-01 21:18:02)
- 2026年 1月25日 主日礼拝 (2026-01-25 15:47:24)
- 2026年 1月18日 主日礼拝 (2026-01-18 16:23:21)
- 2026年 1月11日 成人祝福礼拝 (2026-01-11 15:51:37)
- 2026年 1月 4日 新年礼拝 (2026-01-04 21:33:25)
- 2026年 1月 1日 元旦礼拝 (2026-01-01 16:01:52)
- 2025年12月28日 主日礼拝 (2025-12-28 15:31:03)



