メッセージ : 祈りー瞼を閉じれば、そこは神の庭
【祈り−瞼を閉じれば、そこは神の庭】 ローマ8:22−28他
祈りの姿勢。それは祈りがどのようなものであるのかを端的に示しています。私たちは祈るときに目を閉じます。それは、自分の目で見ている世界から遮断されるためです。目は最大の情報の入り口です。そして人間の判断の起点です。それゆえ、目で見えているものに左右され惑わされるのです。瞼を閉じることによって、それらからいったん遮断され、神が見ているもの、神が見せようとしてくださることに与ること、これが祈りの姿勢です。詩篇にはこうあります。「あなたの庭で過ごす一日は千日にまさる恵みです。」まさしく“瞼を閉じれば、そこは神の庭”なのです。
祈るときに私たちは手を組みます。それは、自分で全てに携わろう、自分で全てを解決しようとする思いを断ち切るためです。手は、人間の行為の象徴です。あらゆる行動の起点です。手を組むことによって、人間の行為からいったん遮断されるのです。
祈りは、「神の目が見る世界」「神の御手が働く世界」に自らを移し、そこでこそ神に問いかけ、神から御旨を聴かされていく「神との交わりの場」なのです。
●2月17日週報巻頭言 吉高 叶
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