メッセージ : 祈り・命の構え
【祈り・命の構え】マタイ6:5−15
「信仰を持つ」ということの根本にあることは、向かい合う相手としての神を知るということです。また、感謝を捧げる相手として神を知ることだとも言えます。
人間は、感謝する相手(しかも、その時々の相手ではなく、全てのことの背後にあって感謝すべき絶対的な相手)を持たないと、結局は自分を感謝するようになります。自分を誉め、自分を讃え、自分に感謝して生きるしかなくなるのです。そのようにして、自己はどんどん肥大化し、自分を常に喜ばせることのできる自分が大問題になっていきます。その精神性の行き着く先は絶望です。自己は、やがて衰え、必ず死を迎えるからです。
信仰生活とは、感謝を捧げる絶対的な相手をいただいて生きる生活です。感謝だけでなく、願い、訴え、すがりつくことを許される絶対的な他者をいただき、同時に、その方から問われ、示され、啓かれ、守られ、救われて生きる道なのです。その絶対的な相手、すなわち神様と向かい合い、対話している命の姿を「祈り」といいます。
ですから、祈りは、信仰者の「命の構え」だと言えます。
●1月20日週報巻頭言 吉高 叶
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