頂点と底辺
ルカ福音書2章1-7節。主イエスがどうして飼い葉桶に寝かされたのかを語る聖書の言は極めて短いです。けれども、このわずかな記述の中に、あまりに対称的なふたりの王が明確な意図をもって並べられています。ひとりは世界の頂点に君臨していたローマ皇帝アウグストゥス。もうひとりは、およそ人間が寝かされるはずもない飼い葉桶にしか、場所のなかった主イエスです。
主イエスが飼い葉桶に寝かされることになったのは、決してベツレヘムの宿屋が満室だったからではありません。結婚前にイエスを孕んだマリアを「罪・けがれの女」と差別し拒絶したヨセフの親族たちが、一族の村ベツレヘムの、どの家の敷居も跨がせなかったからでした。
主イエスの境遇は単に貧しいだけではありません。卑しめられ、はじかれた人々の生きる底辺。神の子は、そこに寝かされ、そこを生きる人になりました。イエスの生涯は、「そこ」を生きることにおいて徹底しています。そして最後はあまりにも悲惨な十字架です。
人の見えないもの、人が見ないところ。人が背を向けるところ。そこに神の言・神の業が宿ります。神の愛は、そこを働き場となされるのです。
クリスマスはその事を告げています。
吉高 叶(12/13巻頭言)
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