メッセージ : 贈り物を、また献げる
【贈り物を、また献げる】サムエル記上1:1-21
「贈り物」には、贈った側が価値を決定するばかりでなく、むしろ贈られた側・受け取った側が価値を決定するという余地が備えられています。どんなに高額な贈り物でも、贈り手に真心がなければ逆に受け取り手を馬鹿にしたり、傷つけたりする贈り物になってしまいます。「恵み」とは、そのように贈った側と受けた側の関係性の中で憶えられ、輝くものだと言えます。
今日の聖書の中には、子だくさんの女性ペニナと、子どものいないハンナが登場します。当時のその世界の価値観からすればペニナは恵まれた女、ハンナは一見するとそうではありません。ハンナは子どもを求めて、悩みと苦しみの淵から必死に、訴えるように主に祈ります。私を心に留め、忘れないでください、と。
主なる神は、そんなハンナを顧み、やがて男の子を授けます。歓びにあふれた彼女は、祈りの中で約束したとおり、その子どもを神に仕える人(ナジル人)として献げるのです。「祝福」とは、このようにして、贈り手である神と、受け手である人との間で、固有の輝きと意味を持つようになるのです。
●6月3日週報巻頭言 吉高 叶
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