「恵み」がやってきた
マリアのところに突然あらわれた天使は、彼女に「恵まれた人」とか「あなたは恵みをいただいた」とか、「恵み」を告知します。けれどもマリアにとってそれは恐怖と不安以外の何ものでもありませんでした。彼女は、思わず「恵み」を拒絶してしまいます。
「恵み」とはいったい何のことなのでしょう?
一般的に恵まれた人とは、幸せいっぱいの人のことです。美貌に恵まれたとか、才能に恵まれたとか、強運に恵まれたとか、人間から見てラッキーなこと、順調なことを言い表すときに使います。けれども、聖書は、恵みをそのように捉えていません。人間の求めるものへの嬉しい答えが恵みではないし、人間が欲しいと望んでいるもののことではありません。「恵み」とは、ずばり、神さまの救いの御業のことです。ですから、「恵まれた人」とは望みが叶えられた人のことでも、人生にいわゆる幸福を引き寄せている人のことではなく、「神の救いの業のために用いられる人のこと」です。恵みを受けるとは、神さまの救いの業に関与させられることであり、神さまの救いに参与することなのです。
マリア物語。それは、マリアが望み叶って幸せになった、そういう意味での「恵まれた女の物語」ではありません。神の「恵み」がぶちあたってきたのです。救い主を与えようとする「大いなる恵み」そのものが。この神の恵みに遭遇し、この神の恵みの業のために用いられる意味において、マリアは「恵まれた人」なのです。そして神は、この新しい大いなる「恵み」を一人の少女に届けることによって、「人間にとって真の恵みとは何か」、そのことについての大転換をもたらそうとしているとも言えます。
「恵み」をどう受けとめて人生を生きるか。「恵み」をどう理解して人生を生きるか。このことによって、人間の喜びや生き方は大いに変えられていきます。そしてまた、「恵み」をどこにどのように見いだすか、が変わるときに、人間にとって試練や苦しみの意味もまた変えられていくのです。
吉高 叶(12月6日説教より)
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