メッセージ : イエスよ、思い出してください
【イェスよ、思い出してください】ルカ福音書23:32−49
釘を打たれたのは掌だろうか、手首だろうか。木に打ち付けられ、そのまま垂直に立てられた時、自身の体重がすべてそこに掛かって、およそ人間が堪えられない激痛が全身を駆け巡るという。
激痛による痙攣と出血による朦朧、その肉体的な極限状態の中で、最後まで、十字架の主イエスは、人間が背負えない重荷を見ていた。赦されることでしか降ろせない人間の重荷を見ていた。それが「罪」だ。そして、主イエスは、罪の審きの厳しい責め苦の中に残られたのだ。決して十字架を降りずに。そして祈った。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
十字架は、神の義と神の愛がぶつかり、神の御子の苦悩の祈りによって、愛と赦しが実現していく場所である。
自分で自分がわからない罪人。自分で荷を背負いきれず、また降ろせない弱き者。背負われ、担われ、祈られ、赦されてしか生きていけない自分。それが私たちの偽らざる出発点。だから、私たちはいつもこう祈りながら生きるのだ。
「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思いだしてください」。
●4月1日 週報巻頭言 吉高 叶
- 2025年12月07日 第二アドベント礼拝 (2025-12-07 17:13:46)
- 2025年11月30日 第一アドベント・世界祈祷週間礼拝 (2025-11-30 16:03:57)
- 2025年11月23日 主日礼拝 (2025-11-23 15:12:35)
- 2025年11月16日 主日礼拝 (2025-11-16 16:15:53)
- 2025年11月 9日 子ども祝福礼拝 (2025-11-09 16:21:36)
- 2025年11月 2日 召天者記念礼拝 (2025-11-02 16:59:37)
- 2025年10月26日 主日礼拝 (2025-10-26 17:06:09)
- 2025年10月19日 秋の特別礼拝 (2025-10-19 16:35:58)
- 2025年10月12日 主日礼拝 (2025-10-12 16:42:01)
- 2025年10月 5日 主日礼拝 (2025-10-05 17:15:12)



