【主がお入り用なのです】 ルカ福音書19:28−40
五木寛之氏の『親鸞』を読むと、末法の世に、専修念仏・易行念仏(人は誰でもが、善人も悪人も、身分にかかわらず、念仏一つで救われる)と説いて広く民衆から慕われた法然上人の、その教えを誤解したり、曲解したりする人々、また、法然の影響力や人気を利用して一揆(革命)や権力闘争に乗じようとする勢力が、蠢いていたことがわかる。
静かに苦悩する法然や、揺れ動く親鸞の心の描写は、2000年前に、民衆の歓喜の中、エルサレムに入場していったイエスの、あの日の胸中を想い測る上での一つの良い手引きであろう。読みごたえある一冊だ。
エルサレムの門にひしめきあう民衆。興奮の絶頂を迎える弟子たち。妬みと憎悪を高めるファリサイ派。警戒を強めるローマ当局。民衆の歓喜は、薄っぺらい熱狂だった。事実、その週のうちに「十字架につけよ!」という怒声に変わっていったのだから・・・。
しかし、主イエスは、それらの声に身をあずけ、仔ろばに乗ってエルサレムの門をくぐって行かれる。何を見つめていたのだろう。何を想うておられたのだろう。
「主がお入り用なのです」。仔ろばを借り受ける時に語らせたあの言葉を、もはや自身の命にあてはめていたのではないだろうか。
●2月26日週報巻頭言 吉高叶
- 2025年11月23日 第一アドベント・世界祈祷週間礼拝 (2025-11-29 21:56:10)
- 2025年11月23日 主日礼拝 (2025-11-23 15:12:35)
- 2025年11月16日 主日礼拝 (2025-11-16 16:15:53)
- 2025年11月 9日 子ども祝福礼拝 (2025-11-09 16:21:36)
- 2025年11月 2日 召天者記念礼拝 (2025-11-02 16:59:37)
- 2025年10月26日 主日礼拝 (2025-10-26 17:06:09)
- 2025年10月19日 秋の特別礼拝 (2025-10-19 16:35:58)
- 2025年10月12日 主日礼拝 (2025-10-12 16:42:01)
- 2025年10月 5日 主日礼拝 (2025-10-05 17:15:12)
- 2025年 9月28日 主日礼拝 (2025-09-28 17:36:41)



