【主がお入り用なのです】 ルカ福音書19:28−40
五木寛之氏の『親鸞』を読むと、末法の世に、専修念仏・易行念仏(人は誰でもが、善人も悪人も、身分にかかわらず、念仏一つで救われる)と説いて広く民衆から慕われた法然上人の、その教えを誤解したり、曲解したりする人々、また、法然の影響力や人気を利用して一揆(革命)や権力闘争に乗じようとする勢力が、蠢いていたことがわかる。
静かに苦悩する法然や、揺れ動く親鸞の心の描写は、2000年前に、民衆の歓喜の中、エルサレムに入場していったイエスの、あの日の胸中を想い測る上での一つの良い手引きであろう。読みごたえある一冊だ。
エルサレムの門にひしめきあう民衆。興奮の絶頂を迎える弟子たち。妬みと憎悪を高めるファリサイ派。警戒を強めるローマ当局。民衆の歓喜は、薄っぺらい熱狂だった。事実、その週のうちに「十字架につけよ!」という怒声に変わっていったのだから・・・。
しかし、主イエスは、それらの声に身をあずけ、仔ろばに乗ってエルサレムの門をくぐって行かれる。何を見つめていたのだろう。何を想うておられたのだろう。
「主がお入り用なのです」。仔ろばを借り受ける時に語らせたあの言葉を、もはや自身の命にあてはめていたのではないだろうか。
●2月26日週報巻頭言 吉高叶
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