メッセージ : 「偶像」について
「偶像」について
人間が、自分の目的(たとえば、願望や不安の解消など)のために神をつくり像を刻む、これが偶像崇拝です。
「像を刻む」とは、まさにイメージを彫りつける行為ですが、単に木や石を彫って造ることだけを意味するのでなく、「枠組みを決めてしまうこと」や「形にして、解るようにしてしまうこと」なのです。このようにして彫りつけられ、設置されて誕生する神がいます。人間は、その神のもとを訪れては頭を垂れます。その頭を礼拝行為はたいへん敬虔で信心深い姿に思えますが、根本的には、神の力の範囲・効能・目的を、人間側が限定づけてしまっている、たいへん不遜な姿だと言えます。私たちが、時に注意を払わねばならないことこそ、敬虔を装った傲慢な宗教心のことです。
このように、神と人間の欲望との関係が逆転現象を起こしてしまうことを、聖書では「罪」と呼んでいます。これが放置されていくとき、「神崇拝」が逆に人間の欲望を達成する装置になってしまい、悲劇の種となります。この御し難い人間の本性をどうすれば良いのか。それが聖書のテーマでもあります。
●9月25日週報巻頭言 吉高 叶
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