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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-08-10 16:50:45 (48 ヒット)

礼拝説教「平和を作り出す者」  マタイによる福音書(Matthew)  5: 9
週報巻頭言「平和祈念礼拝」

  本日のマタイによる福音書5章1節以下は、いわゆる「山上の説教」としてよく知られている箇所で、ここでは主イエスの祝福の言葉(「幸いなるかな」)が、8通りの人々に向けて語られています。
  本日の9節は、その一つである「平和を実現する人々」に対する祝福が語られているところです。それまでの6つは形容詞で示される人の性質(心の貧しい、柔和な、憐み深いなど)を備える人々への幸いが語られますが、7番目で初めて「平和を実現する(人々)」と、動詞で修飾される人々が登場します。そこには深い意味があります。すなわち、平和は静止しているものではなく、むしろ動的なものであり、それは争いの後にやってくるのではなく、逆にその前に来るもの、すなわち争いに先んずるものなのです。
  教会は、「キリストによる平和」をこの世界に向かって宣べ伝えます。それはイエス・キリストの十字架の死によって実現した神と人との和解の出来事をこの世に伝える働きです。罪を赦し、敵を愛するという人間にはできない和解の業を神の子であるキリストだけが、なし得たのです。

●8月10日  平和祈念礼拝  週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-08-03 17:47:24 (50 ヒット)

礼拝説教「新しい生き方」  エフェソの信徒への手紙(Ephesians)  4: 25-29
週報巻頭言「新しい生き方」

  本日の「エフェソの信徒への手紙」は使徒パウロがコリントの次に訪問したアジアの港町である「エフェソ」で立てた教会の信徒たちに向けて書き送った手紙です。エフェソは、アジア第一の都市として知られ、パウロの時代はエジプトやオリエント(東方)の穀物や商品をギリシャやローマに運ぶ貿易港として栄えました。さらに、エフェソには女神アルテミスを祀る神殿があり、世界中の人が神殿詣出のためにやってくるという、ギリシャ文化が色濃く漂う異邦人の町でありました。
  パウロは、このようなエフェソの教会の信徒たちに本日の箇所でこう述べます。「だから、あなたがたは滅びに向かっている古い人を脱ぎ捨て、神にかたどって造られた新しい人を身につけ、真理に基づいた正しく清い生活を送るようにしなさい」(4:22-23)。キリスト者とは、イエスキリストを信じる信仰によって罪が赦され、古き自分に死に、新たな命に生きるようにされた者です。本日は、そのキリスト者の新しい生き方について、エフェソの信徒への手紙を通して、神のみ言葉に聞きます。

●8月3日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-07-27 18:18:01 (62 ヒット)

礼拝説教「神に喜ばれるささげもの」  ペトロの手紙 一(1 Peter )  2: 1-5
週報巻頭言「神に喜ばれるささげもの」

  だから、悪意、偽り、偽善、ねたみ、悪口をみな捨て去って、生れたばかりの乳飲み子のように、混じりけのない霊の乳を慕い求めなさい」ペトロは、そのように小アジアの各地に離散して暮らすキリスト者たちに、勧告の言葉を語ります。彼らは、ローマ皇帝による迫害やユダヤ人による迫害に苦しんでいた人たちでした。そのような彼らを支えたのは、イエス・キリストと再び会うという希望でした。この終わりの日への希望によって彼らは、きびしい迫害の中でも希望を持って生きることができたのです。
  本日の箇所で、ペトロは「あなたがた自身が聖なる祭司となり、神に喜ばれる霊的ないけにえをささげなさい」と述べます。祭司の仕事の第一は、礼拝をつかさどり、祈りとささげものをもって人々の罪の赦しを神に求める、いわゆる「とりなし」のわざを行うことです。そのためには、自らも神の前に身を律し、み言葉に親しみ、絶えず祈らなければなりません。
  本日は、このような霊の人とも言える祭司となるための要件を考えながら、ささげることの意味を考えます。

●7月27日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-07-20 18:07:50 (73 ヒット)

礼拝説教「祈りの精神」  ルカによる福音書(Luke)  11: 3-9
週報巻頭言「祈りの精神」

  主イエスがあるところで祈っておられると、弟子の一人がその祈りが終わるのを待ちかねていたかのように、次のように求めました。「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」
  ヨハネとは、バプテスマのヨハネのことです。洗礼者ヨハネは、悔い改めと水による洗礼(バプテスマ)を民衆に説きましたが、そのために祈ることも弟子たちに教えていました。イエスは、ヨハネほど祈りの手ほどきをしなかったようです。
  この弟子の求めに応えて教えられた祈りが「主の祈り」と呼ばれる祈りです。主の祈りは、神に向かって垂直方向に祈る祈りと、日常生活の中で起きる問題に対して自分と隣人のために祈る水平方向の祈りによって構成されています。この二つの祈りがあって祈りの生活は前進するのです。この二つのうち、どちらが欠けても不十分です。自転車が二つの車輪によって前に進むのと同じです。
  しかし、なぜ信仰者に祈りが必要なのでしょうか。また、祈りとはいったい何なのでしょうか。本日はルカによる福音書11章から、この「祈り」という行為について思いを巡らせます。

●7月20日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2025-07-13 16:29:42 (84 ヒット)

礼拝説教「主を賛美せよ」  詩編(Psalms)  117:1-2
週報巻頭言「2025年音楽礼拝」

  本日は、「2025年音楽礼拝」をささげる日曜日です。演奏者として、大井バプテスト教会元音楽主事、ハンドベル演奏者でもある菊地るみ子さんをお招きしています。菊地さんは、西川口キリスト教会でバプテスマを受け、都内の音楽大学を卒業されたのち、米国の教会で教会音楽の学びを重ねてこられたお方です。
  帰国後は、西川口キリスト教会、大井バプテスト教会で音楽主事として働かれる一方、東京バプテスト神学校の教会音楽科講師としても力を発揮されました。連盟の新生讃美歌にも菊地さんの訳詞や作曲された讃美歌(320,370,569番他)が収められていますが、とくにハンドベル演奏者として、これまで多くの教会、学校等で演奏されてきました。本日、わたしたちの教会に来てくださったことを心から嬉しく思います。ちなみに、菊地さんが当教会の主日礼拝に出席するのは今回が初めてということです。
  講師をお招きしての音楽礼拝は、当教会としては2年ぶりになります。礼拝における音楽の果たす役割の大切さ、その素晴らしさを、体で実感することができることでしょう。音楽を通して主のみ名をほめたたえ、神さまを礼拝することのできる幸いを喜びましょう。

●7月13日  2025年音楽礼拝  週報巻頭言  牧師 木村一充


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