イエス・キリスト誕生の場面を描くルカによる福音書2章によると、当時のローマ帝国の皇帝であったアウグストゥスによって、全世界の人口調査が行われたことが記されています。この調査によって、ローマは属州の住民数を正しく把握して、税金を厳格に徴収し、さらに周辺地域の防備のために、属州住民に兵役や労役を課そうとしたのです。
その人口調査に応じる格好で、ガリラヤで暮らしていたヨセフも、ユダのベツレヘムに身重であったマリアを連れて、上ってゆきました。しかし、宿屋はどこも満室で、マリアは動物たちが過ごす馬屋で、イエスを出産することになります。このように、全世界の救い主としてお生まれになったイエスは、飼い葉桶に寝かされたというのです。「客間には彼らの泊まる場所がなかったからである」と聖書は記します。ただし、原文には「泊まる」に当たる言葉はありません。「客間には、彼らの場所がなかった」と書かれているのです。
クリスマスとは、どういう出来事であったのか、本日のルカ福音書を手掛かりにして、読み進めてゆきます。
●12月22日 クリスマス礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充
According to Luke 2, which describes the scene of the birth of Jesus Christ, Augustus, then emperor of the Roman Empire, conducted a survey of the world's population. This survey allowed Rome to determine the correct number of inhabitants of the provinces, to strictly collect taxes, and to impose military service and labor on the inhabitants of the provinces for the purpose of defending the surrounding areas.
In response to the population survey, Joseph, who had been living in Galilee, took his wife Mary, who was pregnant, up to Bethlehem in Judea. However, all the inns were full, and Mary gave birth to Jesus in a stable where animals were staying. Thus, Jesus, who was born as the Savior of the world, was laid in a manger. The Bible says, “For there was no place for them to stay in the parlor.” However, there is no word for “lodging” in the original text. It says, “There was no room for them in the guest room.
We will read about what Christmas was all about, with Gospel of Luke as a clue.
イエス・キリストの母マリアはどのような女性だったのでしょうか。彼女の出身地であるナザレは、旧約聖書に一度も名前が登場しない村です。エルサレムのような都会ではなく、人里離れた寂しい村であったと思われます。イエスの時代のパレスチナは、人口のほぼ90パーセントが農業に従事していました。マリアも、おそらく農家に生まれたのではないかと思われます。
そのような彼女に、天使ガブリエルが現れ、神の御子をその胎に宿したことを告げられます。マリアにとっては、まさしく「青天の霹靂」であったことでしょう。
しかし、彼女は最後に天使に答えます。「わたしは主のはしためです。お言葉通りこの身になりますように」すなわち、マリアは神の言葉に従う女性でした。
本日の箇所は、そのマリアがエリサベトと出会い、彼女から祝福の言葉を聞いた時に口をついて出て来た賛歌が記されているところです。「わたしの魂は主をあがめ、」で始まるこのマリアの賛歌は、マグニフィカ―ト(ラテン語)と呼ばれます。アドベント第3週のこの朝、このマリアの賛歌から神の言葉を分かち合いたいと思います。
●12月15日 大人と子どものアドベント合同礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充
What kind of woman was Mary, the mother of Jesus Christ? Her birthplace, Nazareth, is a village whose name is never mentioned in the Old Testament. It was probably a lonely village far from the cities like Jerusalem. In Palestine at the time of Jesus, almost 90 percent of the population was engaged in agriculture. Mary was probably born into a farming family.
Then the angel Gabriel appears to her and tells her that she is carrying the Son of God in her womb. For Mary, this must have been “a bolt from the blue.”
But she finally answers the angel. “I am the Lord's servant. May your word to me be fulfilled.” In other words, Mary was a woman after God's own words.”
Today's passage describes the hymn that Mary uttered when she met Elisabeth and heard her words of blessing. This hymn of Mary is called the Magnificat (Latin), The Canticle of Mary (English), which begins, “Praise the Lord, my soul. On this morning of the third week of Advent, I would like to share with you the word of God from this hymn of Mary.
クリスマスという出来事は、本日のフィリピの信徒への手紙によると「神が人となる」という出来事であると読み取れます。イエス・キリストの本当の誕生日がいつなのか、それを解明することは、歴史学者たちの研究によっても容易なことではありません。それにもかかわらず、初代教会がその日を12月25日と定めたことには必然性があります。それは、この日を祝日と定めることで、神と人との交わりがスタートした決定的な日として、これを記念することができるようにしたのです。
イエス・キリストはこの意味で「仲保者」(Mittler:独 )であります。これは、イエス・キリストが神と人の仲立ちとなり、神との交わりを開く人となられたということです。ちょうど、見合い結婚をする際に、仲人が間に立ち、両家の縁結び役をつとめるように、キリストが、神から離れ罪の世界に陥った人間を神と結びつける役割を担ったのです。
本日のフィリピの信徒への手紙では、クリスマスを「神のへりくだりの出来事」として表しています。本日はこの箇所を与えられた聖書として、神の御言葉(みことば)に聞いてゆきます。
●12月8日 週報巻頭言 牧師 木村一充
The event of Christmas can be read as the one of “God becoming man” according to Philippians. It is not easy for historians to figure out when the real birthday of Jesus Christ is. Nevertheless, there is a certain inevitability in the fact that the early Church designated the day as December 25. By designating it as a national holiday, we could commemorate it as the decisive day on which the communion between God and man began
Jesus Christ is in this sense the “Mediator” (Mittler: German). This means that Jesus Christ became the mediator between God and man, the one who opens fellowship with God. Just as a matchmaker stands between two families in an arranged marriage and brings them together, so Christ has taken on the role of uniting mankind, who has fallen away from God and fallen into sin, with God.
Philippians describes Christmas as “the event of God's humility. Today we will listen to the Word of God using this passage as a given Scripture.
本日の礼拝は、アドベント第1週の礼拝となります。アドベントとは、ラテン語のAdventus (アドベントス)から来た言葉で、この言葉は、元来「到来、接近」を意味する名詞です。すなわち、神の御子であるイエスというお方が、この世にお生まれになる日が、間もなくやってくる時期という意味で使われます。
アドベントのスタート日は毎年の暦によって違いますが、終わりの日は決まっています。アドベントは、毎年11月30日に最も近い日曜日から始まり、終わりは12月24日です。今年は、本日の12月1日がそのスタート日となります。
神は、ご自身が創造されたこの世界が、平和で愛と喜びに満ちた生命でみなぎる世界となることを望まれました。ところが、現実はそうなっていません。そこで、ご自身の独り子であるイエスを、平和の君としてこの世に遣わされました。それが、「神が人となる」という出来事です。それはヨハネ福音書1章によれば、「言葉が肉となる」という出来事であると言われます。すべての人を照らすまことの光であるイエス・キリストの到来(ご降誕)を待ち望む期間としてこの期間を過ごすのです。
●12月1日 週報巻頭言 牧師 木村 一充
Today's worship service is the first week of Advent. The word “Advent” comes from the Latin word “adventus,” a noun that originally meant “coming or approach. It is used in the sense that the day when Jesus, the Son of God, is about to be born into the world is coming soon.
The start date of Advent depends on each year's calendar, but the end date is fixed. Advent begins each year on the Sunday closest to November 30 and ends on December 24. This year, today, December 1, is its start date.
God wanted the world he created to be peaceful, full of love, joy, and life. This world for real, however, isn’t so. Therefore, He sent His only Son, Jesus, into the world as the Prince of Peace. This is the event of “God becoming man.” According to the Gospel of John chapter 1, it is said that this is the event in which “the Word became flesh.” We spend this period of time looking forward to the coming (nativity) of Jesus Christ, the true Light of the World, who will illuminate all people.
本日のマルコによる福音書9章14節以下には、重いてんかんの症状をもつ息子を持つ父親の物語が記されています。当時、このような発作は悪しき霊に取り憑かれた人間に起きるのだと考えられていました。父親は、イエスがまだ変貌の山から戻って来るまえに、ほかの弟子たちのもとにやって来て、息子の病気を癒してくれるよう頼みました。しかし、残っていたほかの弟子たちは、悪霊を追い出すことができなかったというのです。
イエスは、この父親の訴えを聞いて「なんと信仰のない時代なのか」と語られ、そこにいた人々の不信仰を嘆かれました。そして、「その子をわたしのところに連れてきなさい」とお命じになると、汚れた霊に向かって「この子から出て行け」と命じられ、病を癒されました。
この出来事の直前に、息子の癒しを求めていた父親が、イエスの前で叫んだ言葉が24節の次の言葉です。「信じます。信仰のないわたしをお助けください」
世界バプテスト祈祷週間がはじまるこの朝、福音を語り伝えることと救いを求めることとの関連性について、マルコ福音書の御言葉(みことば)から聞いてゆきます。
●11月24日 世界祈祷週間礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充