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投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-11-17 17:08:22 (39 ヒット)

礼拝説教「神に従う人」  詩編(Psalms)  1:1-6
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週報巻頭言「神に従う人」

  本日の聖書箇所である詩編第1編で、詩人は「いかに幸いなことか」と語り、幸福な人生を歩む人が、どのような人であるかを語ってゆきます。それは、「神に逆らう者の計らいに従わない人」、「罪ある者の道に留まらない人」、そして「傲慢な者と共に座らない人」だと言います。これら3つの否定形によって人生の歩みを方向付けられた人の人生こそが幸いだと、詩人は言うのです。
  2節では、これら3つの否定形に対抗するかのように、幸いな人を条件付ける2つの肯定形が語られます。それは「主の教えを愛する」人であり、その教えを「昼も夜も口ずさむ」人であると言われます。「主の教え」と訳される「教え」には「トーラー」というヘブル語が使われています。これは、ほかの箇所で「律法」と訳されている言葉です。人生の歩みの中で、時にどの方向に進むべきかを迷い悩む時があります。そのような時に、神の戒めに従いこれを人生の羅針盤として進む人の人生を神さまは祝福してくださるというのです。
  長く信仰生活を歩んできた人はこの言葉を「アーメン」と実感できるのではないでしょうか。本日は、ここから御言葉(みことば)を分かち合います。

●11月17日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-11-10 16:33:24 (56 ヒット)

礼拝説教「子どものようになる」  マタイによる福音書(Matthew)  18:1-5
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週報巻頭言「子ども祝福礼拝」

  本日の礼拝は、教会につながる子どもたちの健やかな成長を願い、子どもたちとそのご家庭の上に、神さまの祝福が豊かにあるように祈る「子ども祝福礼拝」です。教会に子どもたちが与えられていることは、大きな恵みです。なぜなら、子どもたちの成長は教会全体の喜びの事柄だからです。
  本日のマタイによる福音書によると、弟子たちがイエスのところにやってきて、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と尋ねたと書かれています。弟子たちの間では、自分たちの中でだれがいちばん偉いか、という議論がしばしばなされたようです。それが、地上にいる間だけに留まらず、天国にまで持ち込まれたのです。これを聞いて、イエスは一人の子どもを呼び寄せ、彼らの真ん中に立たせて言われました。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。」と。
 天国に入るとは、全き救いに入れられるということです。そのためには、子どものようになることが必要だと言われます。本日は、その意味について共に考えます。

●11月10日 子ども祝福礼拝 週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-11-03 16:14:56 (73 ヒット)

礼拝説教「天の故郷を思う」  ヘブライ人への手紙(Hebrews)  11:13-16
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週報巻頭言「召天者記念礼拝」

  本日の礼拝は、当教会で先に御国に召された方々のことを覚え、その在りし日を偲び、御国における魂の平安を祈る「召天者記念礼拝」です。人間は神によって創造された者ですが、同時に有限な者であり、すべての者が「死ぬ時」を迎えます。しかし、イエス・キリストを信じる信仰に生きる者は、たとえ死んでも生きるとヨハネ福音書には書かれています。地上の生が終わってもなお神と共にある命は、永遠に神によって保持されているのです。
  本朝の聖書箇所である「ヘブライ人への手紙」では、信仰の父祖と呼ばれるイスラエルの族長たち(アブラハム、イサク、ヤコブ)の名前が挙げられ、彼らがみな地上では寄留者として過ごしたことが記されています。寄留者とは、旅人という意味であり、地上の住まいを「仮住まい」と考えて過ごす人のことを指します。仮住まいは、一時的な住まいであり、本当の住まいは天国にあると彼らが考えていた、とへブル書の著者は言うのです。召天者記念礼拝を通して、「われらの国籍は天にある」との御言葉(みことば)を覚え、まことの故郷を思い起こす機会を持ちましょう。その故郷こそわれわれの魂が永遠に憩う場所なのです。

●11月3日  召天者記念礼拝 週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-10-27 11:18:50 (77 ヒット)

礼拝説教「美しき足」  ローマの信徒への手紙(Romans)  10:14-17
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週報巻頭言「美しき足」

  本日の聖書箇所であるローマの信徒への手紙10章で、使徒パウロは「主の名を呼び求める者はだれでも救われる」という言葉を引用しながら、これに続けて、その主の名を語り伝える人、宣べ伝える者がいなければ、どうしてそれを信じる者が起こされようと書きます。信仰は「聞くこと」によって始まるというのです。パウロの時代、聖書を読んで学ぶという習慣はありませんでした。なぜなら、聖書自体の数が少なく、しかも大変高価だったため、庶民には手が届かない代物だったのです。ゆえに、神の言葉を耳で聞くしかなかったのです。
  続いて、パウロはイザヤ書の言葉を引用しながら「良い知らせを伝える者の足は、なんと美しいことか」と述べます。「足が美しい」とは、異常な表現ではないでしょうか。この時代、岩場や砂地が多いパレスチナの山々を行き巡ることは決してたやすいことではなく、むしろ困難で危険なことでした。しかも、人々は粗末な履物しか履いてなかったため、足元はほこりや泥で汚れ出血することも珍しくなかったのです。ところが、その足をイザヤは「美しい」といいます。それはどういうことか。本日はここに注意して、御言葉(みことば)に耳を傾けます。

●10月27日   週報巻頭言  牧師 木村一充


投稿者 : webmaster 投稿日時: 2024-10-20 19:11:42 (86 ヒット)

礼拝説教「Amazing Graceをあなたにも」  ルカによる福音書(Luke)  7:36-50
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当教会YouTubeチャンネルでは竹下静さんによる特別賛美も配信中です。
週報巻頭言「秋の特別礼拝」

  本日は、市川市にある聖望キリスト教会より竹下力先生(同教会協力牧師)、ならびに声楽家の竹下静さん夫妻をメッセンジャーとしてお招きして「秋の特別礼拝」をささげます。
  竹下力先生は、1973年に静岡県で生まれ、都内の大学を卒業された後、IJT宣教神学校牧師志願科を卒業されました。平日は、旅行関係のお仕事をされながら、日曜日は遣わされた教会で、神の言葉を取り次ぐという巡回説教者として、神さまのご用を担っておられます。本人の言葉をお借りすれば、「ちょっと風変わりな伝道者」ということですが、かつて前任教会でもご夫妻を礼拝にお招きしたことがありました。旅行関係の仕事をされていることもあり、ガリラヤ湖の情景を、ヨハネ福音書をもとにわかりやすく説明してくださったことを覚えております。
  一方、静さんは声楽家として海外を含む各地で教会コンサートやゴスペル・イベント等で活躍されています。その素晴らしい歌声はそのままメッセージであると言えるでしょう。本日は、このようなご夫妻をメッセンジャーとして迎え、礼拝をささげます。どうぞご期待ください。

●10月20日  秋の特別礼拝 週報巻頭言  牧師 木村一充


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