私たち栗ヶ沢教会は11月の第一主日(しゅじつ=日曜日)を召天者記念礼拝の日としており、今年も11月4日に多くのご遺族の皆様をお迎えしてその時を持ちました。
午後からは教会墓地があるラザロ霊園にて墓前礼拝が行われ、ご遺族の方々と共に賛美歌を歌い、献花をさせていただきました。少し不安な天気の中、屋外で執り行いましたが、少し小雨が降ったのみで礼拝が守られましたのも神様のみ恵みであったと存じます。
当教会との係わりを持たれ、先に召されていった方々を覚えて、共に礼拝を捧げることができましたことを感謝致します。当教会はこれからもこれらの方々と共に在り続けます。
●礼拝役員 T. Y.
空気がひんやりとして、秋の深まりを感じるようになった10月28日、今年度の「秋の特別伝道礼拝」が捧げられました。今回の講師は、クリスチャン新聞編集部長、月刊『百万人の福音』編集長を歴任され、現在はクリスチャン新聞編集顧問でいらっしゃる守部喜雅先生でした。2014年秋の特別伝道礼拝以来、4年ぶりに講師を務めていただきました。
『聖書を読んだサムライたち』シリーズをはじめ、日本の歴史とキリスト教の関わりについて数多くの著作をお持ちの守部先生。今回は、現在放送中のNHK大河ドラマで注目されている、西郷隆盛についてお話しいただきました。
とかく革命家としての勇ましいイメージが付いて回る西郷さんですが、彼が聖書を読んでいたことが、近年わかってきたとのこと。そのことを踏まえて歴史を振り返る時、「戊辰戦争」で敵対し敗者となった庄内藩に対する寛大な処置や、朝鮮進出を目論んだ「征韓論」の中で非暴力の対話による開国を目指した姿など、今まで気づかなかった、「聖書の教えに生きた西郷」、「他者の痛みに共感する西郷」という人物像が見えてきました。
「天は人も我も同一に愛し給うゆえ、我を愛する心を以って人を愛するなり」。そう言って、常に天の道をさぐりながら、人を愛し、寄り添おうとした西郷さんの生き方に、現代の教会も学ばされます。
●ホームページ担当 水林 京子
9月30日の主日礼拝において、青年会メンバーによる賛美が捧げられました。今回の曲は「You are My All in All」です。
イエス様は、自分ににとってどんな存在か? 弱い時の力、探し求める宝、倒れる時には支え、渇く時には満たして下さる…私にとってのすべて。そんな告白が、静かに、語られるように始まり、そして次第に、ほとばしるように力強く響く賛美でした。
●ホームページ担当 水林 京子
*当日の賛美を動画でご覧ください。
9月16日、東京北キリスト教会から魯孝錬(ノ・ヒョリャン)牧師と田丸修さんをお迎えし、主日礼拝後に「地域協働プロジェクト」についてのお話を伺いました。「地域協働プロジェクト」は、日本バプテスト連盟において、かつての「全国拠点開拓伝道」に替わるものとして創設されました。ある教会のビジョンを、それに賛同する他教会とともに実現してゆくという働きで、これまでに、複数の伝道所・教会をまとめて一つの教会を立ち上げたり、地域の教会をサポートしてゆく宣教支援センターを設立したりと、様々な地域で様々なプロジェクトが実現されてきました。
今回、東京北キリスト教会は、「人々に“居場所”を提供する」、「多⽂化共⽣の宣教課題に取り組む」などのビジョンを掲げ、進み出しました。まず、このプロジェクト実現ための大きな課題は、新たな会堂の獲得とのこと。現在、東京北キリスト教会は、ビルの1室を賃借しての宣教活動をおこなっており、その広さは17.5坪。誰もが安心して集える広さとは言い難く、バプテスマ式や葬儀もおこなえないなど、教会として痛みをおぼえているそうです。また、この教会がある東京都北区には、2018年4月現在、様々な国々を故郷とする外国籍の方々が2万人以上居住しているとのこと。彼らは、生活に必要な情報を得ることにも苦労し、孤立しがちな状況にあります。教会では、このような外国籍の方々との交流を深め、ともに生きてゆく教会を目指しての具体的な活動も計画中とのお話でした。
都市部の教会ならではの課題と向き合い、「みんなに開かれた教会」を目指す東京北キリスト教会。そのビジョンが祈りと協働により実現されてゆくプロセスに、より多くの教会が立ち会い、ともに喜びを分ち合うことができますように。
●ホームページ担当 水林 京子
8月26日の主日礼拝は、「青年がつくる礼拝」でした。今回のテーマは「帰る場所」です。日々の営みの中で傷つき疲れ果てることがあったとしても、私たちは主もとへと帰る...礼拝の前奏としてトランペットで奏でられた「主よみもとに」のメロディーは、そんな宣言のように響きました。(ページ下部にある賛美動画の冒頭で、礼拝前奏の様子もご覧いただけます。)
礼拝の中盤では、絵本『きみのかわりはどこにもいない』が朗読され、迷子になった一匹の羊を必死に探す羊飼いの物語に、神様が私たち一人ひとりに注いで下さっている深い慈しみを思い起こしました。
続いて、青年2名から、証しが語られました。それぞれ、社会人として、仕事上の試練に遭遇したという二人。それらは決して簡単に解決する問題ではありませんが、祈りによる主との交わりの中で、様々な気づきが与えられ、安らぎと、前に進む力を得たとのお話は、聞く者にとっての励ましとなりました。その後に捧げられた、聖歌隊と青年会の合同賛美「静けき祈りの」の歌詞も、二人の証しの内容とつながり、心に染み入りました。(賛美の動画はこちら)
この日のために選ばれた主題聖句はマタイによる福音書11章25節-30節。その中には「わたしの軛(くびき)を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである」との言葉があります。牧師のお話によると、軛とは、本来、牛一頭一頭に合わせて調整されるものであって、それを負う牛が傷むことはないとのこと。また、ドイツの神学者ボンヘッファーは、次のように言っているそうです。「人間は自分で選んだ軛を自ら負おうとする。イエスは色々な苦しみの重荷を負って苦労しているすべての人に、その軛を捨てて、負いやすいイエスの軛を負い、軽いイエスの荷を担うようにと、招きたもう」。人生の苦しみの中で「もう立ち上がれない」と感じた時、イエス様が私たちを呼んで下さっていることを、思い出せますように。
●ホームページ担当 水林 京子