11月13日。宮崎丸山町教会牧師、金子千嘉世先生をお迎えして、秋の特別伝道礼拝を開催しました。
金子先生は、日本バプテスト連盟の副理事長で、被災地支援のために、遠野の支援拠点の専従として働いて来られた方です。
岩手の被災地、福島の被災地、仮設住宅を回り巡り、得意のマッサージで仮設に暮らすおばちゃんたちの身体と心をもみほぐしながら、言葉を聴いて来たこれまでの出会いを、ほとばしるように語ってくださいました。
「生きられるかもしんね」「んだ」「んだ」と語っていく被災者たちの心の移り変わり。「先生、ここには神さまはいない」と言って泣いて帰ってきたボランティア学生たちが、3日、4日と被災地で過ごす中で、「先生、瓦礫の中に、被災者たちの中に、イェス様がいた!」と言って帰ってくるようになる、そんな移り変わり。それを語ってくださいました。
あぁ、神さまが、イェスさまが、人間に伴って、凄い業をしてくださっているんだなぁ。聴いていて、嬉しくて、せつなくて、でも心が震えて、涙がとまりませんでした。
金子先生は、栗ヶ沢教会での交わりの後、再び、遠野に帰って行かれました。先生の働きの上に、主の祝福を心よりお祈りいたします。
11月6日。
午後、手賀沼のほとりラザロ霊園内の教会墓地で、墓前礼拝を捧げました。傘をさしての礼拝でしたが、しっとりと神の国を思い見ることができました。
●イザヤ書46章3-4節
「生まれたときから、わたしに負われ、胎を出たときから、わたしに持ち運ばれた者よ、わたしに聞け。わたしはあなたがたの年老いるまで変わらず、白髪となるまで、あなたがたを持ち運ぶ。わたしは造ったゆえ、必ず負い、持ち運び、かつ救う。(口語訳)」
わたしたちの人生は「神さまに持ち運ばれる人生」です。しかし、どこまで運ばれるのでしょうか。墓まででしょうか。いいえ、「救い」までです。神さまの愛と祝福の伴う永遠の命の場まで、持ち運ばれるのです。
ですから、墓は、人間にとって最後の場所ではありません。ここもまた、救いへのプロセスの場であり、まことの故郷を指し示す記念碑なのです。墓の前から、わたしたちは顔を天に向けることができるのです。 牧師 吉高 叶
毎年、11月第一主日は「召天者記念礼拝」です。栗ヶ沢教会42年の歴史の中で、25名の方々を天に送りました。一人一人が、イエス・キリストと出会い、主の約束に結ばれて召されていきました。
わたしたちは、このような人生へと導かれた先輩たちの名前を大切に呼んで、記念し続けます。
「わたしはアルファでありオメガである。初めであり終わりである。」と語られる神さま。わたしたちは、神さまの愛と祝福によって始められ、愛と祝福によって結ばれる人生なのです。まさに、愛と祝福にはさまれて生きるのです。
先に召された兄姉たちは、みなこの約束に慰められ、希望を持って生きました。わたしたちも、それに倣いたいと決意をあらたにしました。
さぁ、次週は、いよいよ待ちに待った「秋の特別伝道礼拝」です。
くりくりあおぞらくらぶ10月のメニューは「スィートポテトづくり」。
秋の定番になったプログラムです。
この日、31名の子どもたちが集まり、さつまいもをふかし、つぶし、甘く味付けをして、思い思いの形のスィートポテトをつくりました。
新しいおともだちも加わってくれました。
嬉しいのは、1年生の輪が広がっていることです。今年の春に、6年間、くりくりあおぞらくらぶに通ってきてくれた何人かの子どもたちが卒業し、寂しかったのですが、こうして、また新しいつながりができていくのは、嬉しい限りです。
教会の青年メンバーも手伝いにきてくださり、楽しく、美味しく、過ごしました。
10月10日。
今日は、壮年会主催の一日ワークキャンプ。19人のメンバーで、教会の窓枠と、中庭側壁のペンキ塗りに取り組みました。
昨日のうちに、窓という窓には、養生を施し、今朝は9時から一斉にニスとペンキ塗りを開始しました。事前準備もばっちりだったおかげて、すごいテンポで塗られていきます。みんな職人気質。
塗り終わった窓枠も、側壁も、色合いがぐっと深まり、教会全体が引き締まって重みを増したように見えます。
作業に従事した一人一人も、とても満足。
5年前に与えられた愛する教会堂を、こうしてメンテナンスしながら、大切に大切に用いていきたいと思います。そして、この街の人々の祈りの家、癒しの家として、用いられるようにと祈っていきます。
一日、お疲れ様でした。