皆さま、こんにちは。
わたしたち栗ヶ沢バプテスト教会は、毎年この時期に地域の皆さまとご一緒に初夏の音楽礼拝を行っています。この礼拝は、聖書の言葉と共に、音楽の豊かさを用いて神の深い愛を皆さまと分かち合いたいと願ってささげられる礼拝です。聖書からのメッセージ、会衆一同による賛美、聖歌隊賛美、そして現在プロの音楽家として活躍中の教会員たちによる演奏や歌があります。
日々の暮らしの中で、苦労があり、悲しいこと、つらいこと、しんどいことの中で悩むことの多いわたしたちです。人生の海の荒波にのみ込まれてしまうような恐れに押しつぶされそうになることもあります。また、世の中には、悲しいニュースや暗いニュースがあふれて、世界が暗闇に覆われているような状況の中で、絶望的になることさえあります。このような時代であるからこそ、私たちは希望の光を見ていきたいのです。
「向こう岸へわたろう」と言われたイエスと共に、弟子たちは舟にのりました。激しい突風が吹き荒れ、舟は波をかぶって水浸しになります。元々漁師であった弟子たちは、その経験から天候や舟のことは詳しかったと思います。想定外のことが起こったのでしょうか。弟子たちは身の危険を感じ、恐れ、寝ていたイエスに「わたしたちがおぼれてもかまわないのですか」と訴えます。その訴えを聞いたイエスは起き上がって、風を叱り、湖に、「黙れ。静まれ」と言うと、風はやみ、すっかり凪になった、と聖書は語ります。
わたしたちの人生にも突風や荒波が押し寄せてくることがあります。恐れの中、神の沈黙に、自分は神から見捨てられているのではないかと絶望的になることがあります。しかしそのような絶望の中、キリストの希望の光を見て信じる者に、神の平安と生きる勇気が与えられるのです。
7月7日、日曜日の礼拝のひと時に、集った一人ひとりが豊かな賛美と聖書の言葉に励まされることを願いつつ、初夏の音楽礼拝のご案内をいたします。
教会員一同、皆さまのお越しを心よりお待ちしています。
牧師 村上千代
栗ヶ沢バプテスト教会発行
Vol. 18 2018年12月号
「本当のクリスマス」
クリスマスおめでとうございます!
街では商業ベースのクリスマスが賑やかです。キラキラと輝くイルミネーション、そしてどの店もクリスマス一色といった感じです。クリスマスケーキやおいしいごちそうを食べてプレゼントをもらうクリスマスは、文化として日本に定着してきました。でも、クリスマスは、救い主イエスの誕生を祝う時、それも十字架へと向かうイエスの誕生を祝う時なのです。そしてクリスマスのプレゼント交換には、神からのもっとも大いなる贈り物であるイエス・キリストを覚えて、互いに贈り物を交換するという意味があります。
「暗き夜にみ子生まれたもう、羊飼いみ告げを受けぬ、はじめのことば、いのちのことば、光のことば、闇に輝く、暗き夜にみ子生まれたもう」(日本バプテスト連盟発行『新生讃美歌』179番「暗き夜に」)。
この讃美歌の歌詞にあるように、み子イエスは、希望が見えない現実、暗闇が覆っているような現実のただ中にお生まれになりました。しかも、生まれた場所は家畜小屋でした。身重のマリアと夫のヨセフを泊めてくれるところがどこにもなかったからです。赤ちゃんのイエスは、汚れや臭いのある場所で、飼い葉おけの中に寝かされていました。そして救い主誕生の知らせが最初に告げられたのは、当時、最も身分の低い貧しい人々として蔑まれていた羊飼いたちだったのです。救い主は、人間の苦しみ、悲しみ、弱さ、貧しさの中に来てくださるのだということが、イエスの誕生物語の示すところです。ここにこそ神の愛があります。
栗ヶ沢教会では、12月23日(日)にクリスマス礼拝、24日(月)にクリスマス・イブ礼拝をささげ、救い主イエスの誕生をお祝いします。文化としてのクリスマスではなく、本当のクリスマスを教会で一緒にお祝いしませんか。皆さまぜひご出席ください。歓迎いたします。
牧師 村上 千代
NHK大河ドラマ「西郷どん」の主人公
西郷隆盛 ― その愛とゆるしの生涯
今、大河ドラマ「西郷どん」が大きな話題になっています。
今年は、明治維新150年ということで、その近代の改革に大きな力になった西郷隆盛にも関心が高まっているようです。
このたび、栗ヶ沢バプテスト教会では、話題の本「西郷隆盛と聖書」(フォレストブックス)の著者である守部喜雅氏をお迎えし、真実の西郷隆盛について講演をしていただくことになりました。
講師の守部氏は、これまでに、「聖書を読んだサムライたち」「勝海舟・最後の告白」「竜馬の夢」「サムライウーマン新島八重」「天を想う生涯・黒田官兵衛と高山右近」などの本を出してきましたが、いずれもが、大河ドラマの主人公として、テレビ放映された人物です。特に、坂本龍馬、勝海舟、そして西郷隆盛についての本は、それぞれの内面性や精神性に鋭く迫る内容のものでした。
守部氏は、講演に先立って次のように語っています。
「“西郷隆盛と聖書”は、あの大西郷と言われた人物が、自殺未遂をする場面から物語は始まります。それは、西郷の光の部分を描くだけでなく、1人の人間として、その心に闇を抱えていたという事実を明らかにし、その闇にどのように打ち勝っていったかという真実を知って欲しかったからです。
“人を相手にせず、天を相手にせよ。天を相手にして、己を尽くし人をとがめず、我が誠の足らざるを尋ぬべし”
これは、西郷さんの言葉です。ここで、西郷さんは、“天を相手にせよ”と繰り返し述べています。また、西郷さんの言葉に次のようなものがあります。
“天は人も我も同一に愛したもうゆえ、我が愛する心を以って人を愛するなり”。
“天”という言葉は、西郷さんが信奉した陽明学にも出てきますが、“天がすべての人を愛している”という教えは、西郷さんが、漢訳聖書を熟読した結果、遂に発見した真理だったのです。」