✣ 強いられた恩寵 ✣
イエスさまは、すべての人を「罪」の縄目から解き放つために、二千年昔、ベツレヘムの家畜小屋にお生まれになりました。大工ヨセフと少女マリアが地上での父親と母親になりました。しかし、二人にとって、この出来事は素直に喜べない『強いられた恩寵』でした。
マリアは結婚する前にヨセフの知らないところで胎に子を宿します。当世流行の「できちゃった結婚」の感覚なら、あたり前のことかもしれません。しかし、二千年昔のユダヤの社会は現代とは違うのです。正式な結婚以外の性的関係は「姦淫罪」です。神の秩序を乱す「大罪」として、死刑(石打ち刑)にされました。当時は神の律法(戒め)によって、精神的にも肉体的にも“愛の尊厳”が大切にされていたからです。そのためヨセフの悩みは深刻でした。彼はマリアとの結婚の解消を考えていました。
ところが、ある夜、夢に天使が現われて、“愛の尊厳”の意味を啓示します。眠りから覚めると、ヨセフは態度を一転してマリアを妻に迎えます。ヨセフは大切なことに気づいたのです。
私たちは、今、イエスの時代よりも飛躍的に進歩した時代を生きています。知識は増し、生活レベルは高くなりました。でも、私たちの“愛”は増しているか? “愛”のレベルは高くなっているか? クリスマスはあなたの“愛の尊厳”を回復するときです。
●12月11日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 大きな喜び ✣
マタイ福音書の冒頭の「イエス・キリストの系図」には、馴染みの薄いカタカナ名が羅列されています。聖書を読む人は、この「系図」に躓きます。そもそもマタイ福音書は、イエスさまが『救い主(キリスト)』であることをユダヤ人へ伝えるために記された書物です。ユダヤには、救い主はダビデの子孫から誕生するとの預言がありました。
著者マタイは、イエスさまが預言された『救い主』であることを証明するために「系図」を最初に記しました。「系図」はイエスさまがダビデの子孫であるだけでなく、イスラエル(ユダヤ人)の始祖アブラハムに至ることを示しています。『救い主』を待ち望む人々に、旧約聖書と新約聖書が堅く結ばれていることを知らせたのです。
更に、「系図」は当時の人々が越えられなかった「壁」を粉砕し、すべての人に与えられる『大きな喜び(福音)』を伝えています。
1)選民(神の民)と異邦人の壁を壊す
…系図に異邦人の名があります。選民も異邦人も、神に従う者を神は祝福します。神は差別しない。差別の壁は「人の心」にあるのです。
2)男と女の壁を壊す
…4人の女性の名があります。神の愛は「男尊女卑」の壁を砕く。男も女も、神には「大切な器(存在)」です。
3)義人と罪人の壁を壊す
…神の救いの目的は、義人を招くことではなく、罪深い者を招き、「新生・聖化」することです。
●12月4日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 輝く時が来るまで ✣
きょうから待降節(アドベント)に入ります。待降節第一週は「世界バプテスト祈祷週間」です。日本国内のみならず、世界中のバプテスト教会の女性会が中心となり、世界伝道のために祈り、献金をささげるときです(期間は11月最終日曜日から12月最初の日曜日まで)。この運動は19世紀後半に、中国伝道のために生涯をささげた米国南部バプテストの女性宣教師ロティ―・ムーンに由来します。彼女の伝道への情熱は、「世界バプテスト祈祷週間」に今も息づいています。日本バプテスト連盟は、かつて、南部バプテストからの多大な支援を得て全国への伝道を推進しました。私たちの教会も、その支援を受けて、この地に伝道の基礎(土地と最初の会堂)を据えました。
大きな支援を受けた私たちは、【受けるよりは与える方が幸いである】(使徒20:35)を心に刻み、この待降節に伝道の情熱を再び燃え立たせたいのです。以下の三点に注目して、伝道スピリットを熱くしましょう。
1)視野を広げる 〜 世界(外)に目を向ける。関心を持つ。知らなかったことを知る。
2)他者のために祈る 〜 自分のことだけでなく、厳しい状況にある人々をとりなす。
3)愛をあらわす 〜 主イエスは【神と人とを愛せよ】と教えました。
●11月27日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男
✣ 希望・それは生きる力 ✣
荒野に呼ばわる者の声がする。「主の道を整えよ。荒地で、私たちの神のために、大路を平らにせよ。すべての谷は埋め立てられ、すべての山や丘は低くなる。盛り上がった地は平地に、険しい地は平野となる。このようにして、主の栄光が現されると、すべての者が共にこれを見る。主の御口が語られたからだ。」
あなたの道は整えられているでしょうか。谷底のように心が沈んではいないでしょうか。劣等感、自己憐憫、罪悪感、敗北感といった谷は埋められなければなりません。また、山や丘のような高くはなっていませんか。プライドや傲慢といった山や丘があれば削られて低くされなければなりません。障害物は取り除かれ、でこぼこ道は平らに整えなければならないのです。
今から2000年前に来られた主イエスは再び来られると言われました。その主が再び来られる前に、私たちは荒野の声となって、私達自身は勿論、世界の人々にその道を整えるように叫ばなければなりません。
●11月20日 週報巻頭言 教会員 吐田 敏宏
✣ 真の神、他になし ✣
ダニエル書3章はバビロン帝国の王ネブカドネツァル(在位・前605-562)に仕えたユダヤの三人の若者への「宗教迫害と奇跡的救出」の物語です。
ネブカドネツァル王は「巨大な金の像(高さ27m)」を造り、これにひれ伏して拝むよう国民に命じます。ひれ伏さない者は「燃え盛る炉」に投げ込むと宣言しました。バビロン帝国下の人々は、王を恐れて、だれもが「金の像」を拝みました。
ところが、王に仕えるユダヤの三人の若者は「金の像」を拝まなかったので、カルデア人(バビロンの人々)は、ユダヤ人が厚遇されていることへの妬みもあり、三人の若者が王の命令を無視していると密告します。王は事実を確かめた上、三人に改めて「金の像」を拝むよう命じました。
若者たちは答えました。
「私たちの仕える神(ヤハウェ)は、燃え盛る炉からも、王の強引な命令からも、私たちを救い出すことが出来ます。たとえそうでなくても、王よ、私たちは金の像を拝みません。」
ユダヤの若者らは、バビロン王の命令をきっぱり断りました。王は激怒し、彼らは「燃え盛る炉」へ投げ込まれた。「炉」の中で、三人は神(ヤハウェ)に祈りました。すると天の御使いがあらわれ、彼らを燃え盛る火から守ります。三人は燃え盛る火の中で、神(ヤハウェ)を讃美しました。
ここには、“祈りと讃美”があるところに“キリスト”が来て、試練から守り、神の栄光へ導くという“励ましのメッセージ”があります。無傷で生還した若者を見たバビロン王は、驚き、彼らの“神(ヤハウェ)礼拝”を公認したのです。
●11月13日 週報巻頭言 牧師 山田 幸男