ほんとうのエコのはなし
「エコカー」とか「エコポイント」など、最近あちこちで「エコ」という言葉をよく耳にします。環境に優しい、とか、省エネ志向、ということにひっかけて使われるようになった言葉です。
ところで、この「エコ」。もともとは、ギリシャ語の「オイコス」(家)という語に由来します。神のもとにある一つの家、一つの家族という意味の語です。
「世界」(オイクーメネー)という語も、もちろんこの「オイコス」からできています。ですから、エコロジー(環境)もエコノミー(経済)も、そもそもは、共に一つの家を守り、一つの家族を形成していくための営みを示唆している言葉なのです。
このことは、決して言葉のなりたちだけの問題でなく、歴史の真理を表していると思います。わたしたち人間が、この「一つの家のために」という思想から離れてしまい、“自分だけ良ければ”、“今だけ良ければ”、とふるまってしまうとき、「エコ」が狂ってしまうということです。環境破壊(エコロジカルクライシス)がひきおこされ、経済危機(エコノミカルクライシス)によって社会や人間そのものが崩れていってしまうのです。
みなさまもご存知の、アメリカの公民権運動の指導者、亡きM.L.キング牧師の言葉に耳を傾けてみたいと思います。
「あるバラバラに分裂していた家族が、一緒に住まなければならない一軒の家を相続した。これがまさに人類が今直面している新しい大問題である。われわれは、一緒に住まなければならない大きな家<世界の家>を相続したのである。・・・中略・・・もはや別々に生きることができないので、どうにかして互いに平和の内に生きる道を学びとらなければならないのである。」
この演説は、人種差別を撤廃する運動の中で語られた言葉ですが、全てに通ずる普遍的な響きを持っています。そうです。「一つの家に共に住み、一緒に生きる」ということこそ、全ての分裂や破壊を回復させる大切な視点なのです。
いまこそ「エコ」という言葉が含んでいる意味の深さと広さを心に留めましょう。自然環境、人間の生命、経済・社会活動、その全てには「共に生きるように」との神さまの招きがあるということを。
牧師 吉高 叶(『GoodNewsしらかば』11月号より)
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