礼拝説教「白髪になるまで」 イザヤ書(Isiah) 46: 1-4
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週報巻頭言「白髪になるまで」
本日は、高齢者祝福礼拝として礼拝をささげます。旧約聖書に登場する信仰の父祖たちの亡くなった年齢を調べてみると、みな相当に年老いてから召されています。このことは、旧約聖書の著者たちが、長寿を主なる神からの祝福の結果であると 考えていたことを示しています。ただ、長く生きればよいというわけではありません。召されるその時まで、神によって持ち運ばれたことが大切なのです。
本日のイザヤ書46章には、「ベル」や「ネボ」という名前の神が登場します。これらはバビロンの神々ですが、祭りの際に、それら青銅の像が荷車に乗せられ家畜によって運ばれました。しかし、その重さに耐えかねて家畜たちが倒れると、神々の像も一緒に倒れ伏したとあります。国家を守るバビロンの神々が、お祝いの儀式の最中(さなか)に、獣たちと一緒に倒れる様子は、滑稽にすら思えます。イザヤは、イスラエルの神が「持ち運ばれる神」ではなく、逆にイスラエルの民を白髪に至るまで持ち運ぶ神であることを、明らかにするのです。本日は、この箇所から神の言葉に聞いてゆきます。
●9月14日 高齢者祝福礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充
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