礼拝説教「祈りの精神」 ルカによる福音書(Luke) 11: 3-9
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週報巻頭言「祈りの精神」
主イエスがあるところで祈っておられると、弟子の一人がその祈りが終わるのを待ちかねていたかのように、次のように求めました。「主よ、ヨハネが弟子たちに教えたように、わたしたちにも祈りを教えてください」
ヨハネとは、バプテスマのヨハネのことです。洗礼者ヨハネは、悔い改めと水による洗礼(バプテスマ)を民衆に説きましたが、そのために祈ることも弟子たちに教えていました。イエスは、ヨハネほど祈りの手ほどきをしなかったようです。
この弟子の求めに応えて教えられた祈りが「主の祈り」と呼ばれる祈りです。主の祈りは、神に向かって垂直方向に祈る祈りと、日常生活の中で起きる問題に対して自分と隣人のために祈る水平方向の祈りによって構成されています。この二つの祈りがあって祈りの生活は前進するのです。この二つのうち、どちらが欠けても不十分です。自転車が二つの車輪によって前に進むのと同じです。
しかし、なぜ信仰者に祈りが必要なのでしょうか。また、祈りとはいったい何なのでしょうか。本日はルカによる福音書11章から、この「祈り」という行為について思いを巡らせます。
●7月20日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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