礼拝説教「律法の役割」 ガラテヤの信徒への手紙(Galatians) 3:21-25
週報巻頭言「律法の役割」
ガラテヤの信徒への手紙は「信仰による義」を説き明かす書簡として、ローマの信徒への手紙と並んで知られる書簡です。本日の箇所で、使徒パウロは「信仰が現れる前には、わたしたちは律法の下(もと)で監視され、この信仰が啓示されるようになるまで閉じ込められていました」と述べています。(3:23)
ここでいう「律法の下で監視される」とはどういうことなのか。また、これに続く「閉じ込められている」とはどういう状態を指すのかを考える必要があります。その前に、「律法」がユダヤ教においてどのようなものだったかを理解しておく必要があります。ひと言で言えば、それは神の民と呼ばれるにふさわしい生き方を規定する「生活の規範、信仰生活を送るためのルール」でした。しかし、イエスの時代には、それが「律法主義」の名のもとに清いものと清くないもの、選民と罪人を峻別するための道具になっていました。律法の行いによって、信仰が測られ、評価され、目に見える「しるし」が幅をきかせるようになっていたのです。それが、キリストの到来によってどう変わったのか、本日はそのことを共に考えます。
●6月29日 週報巻頭言 牧師 木村一充
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