礼拝説教「盲人の癒し」 ヨハネによる福音書(John) 9:1-12
週報巻頭言「盲人の癒し」
本日のヨハネによる福音書9章では、主イエスがエルサレム神殿の近くで生まれつき目の見えない人を見かけられた時、弟子たちと交わした言葉が記されています。弟子たちは「先生、この人が生まれつき目が見えないのはだれが罪を犯したからですか。本人ですか、それとも両親ですか」と尋ねました。これに答えてイエスは言われます。「本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。」
このイエスの言葉は、新約聖書の中でも最も慰めと励ましに満ちた言葉です。この言葉によって立ち上がった人が教会の歴史の中でどれほど多くいたことであろうかと思わされます。洋の東西を問わず、何らかのハンディを抱えて生まれてきた人に対して、それは親の罪が子に報いたのだと、因果応報の思想でこれを説明しようとする人がいます。しかし、イエスはこれを否定し、本人や両親が過去に犯した罪のためではなく、ただ神の御業がその人の上に現れるためであると説くのです。過去ではなく未来に目を向け神の救いの業を信じるように、勧告するのです。本日は、この箇所から神の言葉に耳を傾けます。
●6月22日 神学校週間礼拝 週報巻頭言 牧師 木村一充
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